久米路峡(長野県信州新町) ; オオムラサキの森

− 2005.07.10(日) 晴れ −

 天気予報が狂い、昨日より良い天気になった。午前中は用事があったので、午後にデジカメを片手に目的地を決めずに家を出た。
久米路橋の上から見る久米路公園 久米路公園裏手の山腹より久米路峡を見下ろす
 長野南バイパスを松本方面へ、信州新町の“久米路橋”の袂に車を止め“久米路公園”に登ってみた。タウンシューズだと歩き難い急坂の遊歩道、もし足を踏み外したらそこは犀川である。
久米路公園 散策路 久米路公園 山頂(?)
 久米路峡は約420万年前、新生代第三紀鮮新世に活動した火山の噴出物と考えられる安山岩角礫からなる凝灰角礫岩で出来ている。この岩石は周囲の地層より硬く、隆起にともなう犀川の侵食の障害となり峡谷となったものである。
オオムラサキ
 遊歩道脇のクヌギには、羽化したばかりのウラナミアカシジミがいくつもいた。山頂(?)にはオオムラサキが群舞していた。
久米路橋 現在修復中のためシートがかけられています 昨年の7月に撮影したものです
信濃の国 (長野県の県歌)
信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
そびゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し
松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平は肥沃の地
海こそなけれもの沢に 万足らわぬ事ぞなき
尋ねまほしき園原や 旅の宿りの寝覚の床
木曽の桟かけし世も 
心して行け久米路橋
来る人多き筑摩の湯 月の名に立つ姥捨山
著き名所と風雅士が 詩歌に詠てぞ伝えたる
四方にそびゆる山々は 御嶽 乗鞍 駒ヶ岳
浅間はことに活火山 いずれも国の鎮めなり
流れ淀まず行く水は 北に犀川 千曲川
南に木曽川 天竜川 これまた国の固めなり
旭将軍義仲も 仁科五郎信盛も
春台太宰先生も 象山佐久間先生も
皆この国の人にして 文武の誉れたぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽ず

木曽の谷には真木茂り 諏訪の湖には魚多し
民のかせぎも豊にて 五穀の実らぬ里やある
しかのみならず桑採りて 蚕養いの業のうち開け
細き世すがも軽からぬ 国の命を繋ぐなり
 

吾妻はやとし日本武 嘆き給ひし碓氷山
穿つトンネル二十六 夢にも越ゆる汽車の道
道一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき
古来山河の秀でたる 国に偉人のある習い
犀川に架かる白馬長野道路の有料橋 安庭橋
 国道19号を走るたびに撮影したいと思っていた景色である“笹平ダム湖と安庭橋”、湖面から立ち上る水蒸気が幻想的だったのでパーキングに車を止め撮影ポイントまで歩いた。