小学生時代
蝶と里山の浪漫紀行は中学生になりました
− 2007, 1,14 −
 2000年9月30日に蔵王の屏風岳で右足首骨折の山岳事故(救助ヘリと救急車のお世話になったので決してオーバーな表現ではない)にあった。以降、自重した生活が続き正月にホームページを作ろうと思い立った。
 2冊の本を買い込み2週間ほどでホームページを作り2001年1月14日に“蝶と里山の浪漫紀行”を立ち上げる運びになった。それから早や6年が経過した。
 そんなことで“蝶と里山の浪漫紀行”は1月14日で中学生になる。そして管理人も6月になると還暦を迎える。還暦は亡き両親の世代の言葉だと思っていたのに、いつの間にか自身のことになってしまった。
 この間の里山歩きは延べ335山、浪漫紀行は297話、ホームページのアクセスカウンタは42083、この記録は6年という短い間であったが我が人生の宝物に匹敵する。
小学1年生の春  加護坊山;田村麻呂伝説を訪ね(第006話)  2001年3月10日
 2月6日から家の周りを松葉杖を頼りにリハビリ散歩をして来た。10万歩を超えたら里山歩きを始めるとの目標を立てていた。

 その目標を昨日達成した。待ちに待った里山歩きだ。登山道が整備され無理なく登れる里山で記念に値する頂が条件であった。

 仙北平野に浮かぶ島状の丘陵である加護坊山は標高224mながら宮城の80%程を眺望できるビュースポットだ。そんなこともありこの山を選んだ。

 北斜面にある登山道には20〜30cmの残雪があり野兎の足跡しかない。痛む右足を引きずりながら山頂にたどり着いた記憶が真新しい。
小学1年生の夏  南蔵王;チングルマ咲く湿原(第020話)  2001年6月18日
 蔵王の屏風岳で右足首を骨折したのは延べ81山目であった。山歩きに慣れ気を抜き油断した頃の出来事であった。

 延べ100回目は気を入れ直すためにも“その屏風岳”に妻を誘って登ろうと決めていた。事故現場を見せてあげたいという気持ちもあった。

 高山植物の横綱であるチングルマが咲き乱れとても綺麗だった。いろんな高山植物が高層湿原を彩っていた。

 蔵王には車を降りて15分足らずの所に高山植物が咲き乱れる高層湿原の池塘がある。いつまでも保存したい貴重な自然の宝庫だ。
小学1年生の秋  篭ノ登山;カモシカとの出会い(第033話)  2001年9月15日
 亡父母生誕100年記念ということで初めての兄弟会が群馬県嬬恋村の休暇村鹿沢高原で行われるとのことで14日の早朝に宮城を発った。

 14日は姉と池ノ平湿原と菅平高原に行った。時期的に遅かったが湯ノ丸牧場で憧れのベニヒカゲを妻が目撃した。

 鹿沢高原で一泊、朝早く起き兄と妻の3人で篭ノ登山に登った。山頂近くで太ったカモシカと至近距離で出くわした。

 今夜、仙台の東北放送(TBCラジオ/1260kz)のNight RADIT(毎土曜22:30〜)のClick The Linkで蝶と里山の浪漫紀行が紹介されている。
小学1年生の冬  権現森;お酒の神様を祀る山(第047話)  2001年12月19日
 浪漫紀行で初の雪景色だ。仙台市の郊外にあるもののマイナーな里山であるため登山者は少なく新雪を踏みしめて歩くことになった。

 権現森はクマがよく出没することで知られている。近くの蕃山や太白山は数多く登ったが、この山は眺望もなく一度きりの里山だった。

 いま思うに太白山と同様に権現森もヒメギフとかゼフがいそうだ。シーズンに訪れておくべきポイントの一つであったかもしれない。

 住宅用地として麓は勿論のことかなり上の方まで開発が進んでいるので、里山の良さも後何年ぐらい残るだろうかと宮城を去ったいまも気になる。
小学2年生の春  移ケ岳;阿武隈随一の美峰(第062話)  2002年3月16日
 2年生になったら活動範囲が広がり阿武隈山地を好んで歩くようになった。阿武隈山地には1000mを超える山は3つ程しかない。

 阿武隈を代表する美峰の移ケ岳に続き鋭峰の鎌倉岳に登った。いずれも岩山で山容は鋭く遠くからも指呼できる。

 阿武隈の山は良く整備されていた。晩秋に落葉を踏みしめながら静かな雑木林の中を歩いたことを思い出す。このあたりが宮城の里山と趣を異する。

 花塚山や半田山の紅葉も美しく今も瞼に焼き付いている。いつか阿武隈の山々を再訪したいと思うが果たして実現するであろうか。
小学2年生の夏  北海道浪漫紀行;北の大地2500kmの旅(番外編)  2002年 6月27日〜7月5日
 姉の誘いで妻も同行した9日間2500kmのドライブ旅行だった。何時ダウンするかわからない愛車のR25は最後まで頑張ってくれた。

 仙台港から太平洋フェリー“いしかり”で苫小牧、右回りで北の大地を走り抜けた。数日前の吹雪で珍しい植物はそろって花を閉じてしまった。

 心配した天気も阿寒湖〜釧路湿原〜霧多布湿原が曇りであったが全行程ほぼ満足出来た。空の色が綺麗で感動した。

 湿原めぐり、いろんな花の写真を心行くまで撮れたので満足だった。反面、妻は少々飽きたようで何処がどうなのか記憶にないという。
小学2年の秋  新川;晩秋の渓谷歩き(第093話)  2002年10月31日
 新川は仙山線でも行くことの出来る紅葉狩りの名所です。ここには長命水という格別に旨い湧き水がありそれに惹かれて何度も行った。

 新川ハイキングコースと奥新川ハイキングコースという二つの遊歩道があり、奇岩怪石に吊橋を組み合わせた静かな渓谷歩きが出来る。

 キャンプ場があり、近くの遊歩道脇の林間でカモシカの夫婦を見かけた。長野でもそうだが宮城では民家の近くにまでカモシカが出てきている。

 長命水についてもう一度ふれておこう。この湧き水は少しずつしか湧いていないが、隣には有料で汲める蛇口がある。ウイスキーの水割りに最高である。
小学2年の冬  撫倉山;七ツ森のパノラマ峰(第097話)  2002年12月23日
 七ツ森はお伽話に出てくるような山である。幾つものコースがあって四季を通じ趣深く堪能出来る里山である。

 ビギナー向けの里山だが主峰である撫倉山は岩山で険しくロープや鉄梯子のある場所もあり変化に富んで病みつきになる。

 北から、たんがら森、遂倉山、鎌倉山、蜂倉山、大倉山、撫倉山、松倉山の7つで、たんがら森を除いた6山を登っている。

 山頂でヒオドシチョウの越冬態を良く見かけた。何度も行っているのに何故か蝶シーズンを外しているので多くの蝶に会えていない。
小学3年の春  太白山;残そうヒメギフの郷(第114話)  2003年4月10日
 地元のテレビニュースが毎年のように報道するのが太白山でのヒメギフチョウの羽化情報だ。モンキアゲハなどもいて蝶の宝庫といえる里山である。

 宮城におけるヒメギフチョウの郷は、高館丘陵一帯と太白山周辺、七ツ森から達居森が知られている。乱獲を避け保護したいものだ。

 話題は変わるが太白山は円錐形で美しい山容を見せ名取富士という名を持つ。山頂直下は鎖のある急峻な岩場である。

 地元の幼稚園児や小学生の低学年が遠足に訪れる里山だ。宮城在住時、春夏秋冬を通じ何度となく登った想い出多い里山の一つだ。
小学3年の夏  芳ノ平;ススキ野に棲む妖精(第126話)  2003年6月18日
 芳ノ平は仙台市民の山として親しまれている泉ケ岳の裾に広がる高原です。泉ケ岳一帯は宮城における蝶の里として貴重な自然宝庫である。

 ギンイチモンジセセリを見たく宮城の生息地を探し回った。宮城では絶滅危惧U類に指定されているだけあって希少価値の蝶である。

 ススキ野に棲む妖精(本種)とか雑木林の妖精(ミヤマセセリ)という愛称を付け里山歩きを堪能する趣味に目覚め幸せだ。

 蝶は高山より里山に多くが生息しているので、どちらかと言えば里山とか奥羽山脈の名峰の登山口周辺を探索することが多い。
小学3年の秋  二口林道;秋深まる奥羽峠紀行(第141話)  2003年11月5日
 仙台を舞台にしたサスペンスドラマといったら必ずといっていいくらいに出てくるのが秋保温泉だ。その秋保温泉の奥にあるのが二口林道である。

 二口林道には二口山塊(名峰大東岳)の登山口があり、通行止めになっているが山形の山寺に通じる峠道である。

 名取川の上流で渓谷の紅葉を見ながら芋煮会をやる姿を多く見かける。写真中央の切り立った山は表磐司と呼ばれる岩山である。

 秋保温泉に泊まり若葉から紅葉まで静かな林道歩きを、少しオーバーだが宮城の小秘境めぐりとして管理人イチオシのスポットです。
小学3年の冬  鹿狼山;心が和む冬の雑木林(第145話)  2003年12月21日
 鹿狼山は宮城というより福島の里山、メインの登山口は福島県の新地町にある。宮城県の丸森町からのコースは静かで趣がある。

 鹿狼山から相馬港を見下ろせる。太平洋から昇る初日の出を拝む催しが毎年行われている。管理人は2年生の時に行っている。

 鹿狼山は亘理地塁山地の付け根に位置する。地塁山地は山脈状に隆起して出来た山である。ここには南限と北限の植物がある貴重な場所だ。

 鹿狼山を太平洋側から眺めると乳房のように見える。里山歩きの友であるA氏は山頂の杉が鳥の羽に見えることからインデアンハットと呼んでいた。
小学4年の春  旗巻古戦場;この地に永久に眠れ(第155話)  2004年3月8日
 17年間住んだ宮城を後に郷里の長野に移住する時がきた。宮城に住んだ証として記念すべき旗巻古戦場跡に結婚記念樹のミモザを植えることにした。

 ここ旗巻峠で1999年5月22日に“蝶と里山の浪漫紀行”が生まれたのである。里山歩きのルーツは峠歩きが始まりであった。

 この地に記念植樹をしたいと丸森町役場にお願いしたところ旗巻古戦場保勝会の会長さんに話を通して頂き願いがかなった。

 写真の右が会長さんでスコップを持っているのが管理人です。大きなウメモドキ科のマユミを伐採し、その後に植えさせて頂きました。
小学4年の夏  烏帽子岳;ベニ三昧に大満足(第174話)  2004年8月14日
 小学4年の3月に生まれ故郷に戻った転校生は元気に信州の里山を歩き回っています。宮城から一緒に移住したパンダちゃんとミミちゃんも元気です。

 夏休みには、管理人が中学生時代の昆虫クラブで採集旅行で行った烏帽子岳にベニヒカゲを撮りに行った。ウン10年ぶりの出会いに感動した。

 ベニヒカゲの代わりに烏帽子岳のニセピークから四阿山と根子岳をバックに烏帽子岳の山頂を撮ったトップページ画像を掲載するる

 烏帽子岳と湯ノ丸山は浅間山系における蝶スポットとして名高い。危険箇所もなく容易に登れる反面小学生の遠足にぶつかると歩き難く悲惨だ。
小学4年の秋  信濃追分;さまよえる蝶を尋ね(第177話)  2004年9月13日
 初夏から秋にかけ分布地から食草を求めて北へ北へと移動する。ときには北海道まで北上するが冬の訪れとともに死に絶える。

 そんな、逞しくも哀しい“さまよえる蝶”・・・・山と渓谷社の“チョウ・ガ”という豆辞典で紹介されているフレーズが気に入っている。

 何故か宮城では一度も見ていない。初見で撮影できたのが新鮮な個体であり何と綺麗なチョウだろうと感動した。

 このチョウは惜しげもなく開翅してくれるので被写体としては最高だ。淡いブルーが何ともいえない。蝶シーズン最後の種として実に見応えがある。
小学4年の冬  鹿狼山;言い表せぬ複雑な心(第185話)  2004年12月19日
 宮城を後にしてから9ケ月目で旗巻古戦場を訪れることが出来ようとは夢にも思っていなかった。冬であったためミモザは根付いてくれなかった。

 しかし、保勝会の会長さんが枯れたミモザをそのまま残し、その横に新しいミモザを植え記念柱まで立てて下さっていた。

 東北人、いや宮城の人の情けの深さがしみじみと伝わってきた。里山歩きの友人であるA氏、同業者であるA氏のご好意で訪れることが出来た。

 記念植樹には家族の想いも同時に込められているので、管理人にとっては生まれ故郷以上に思い出深い場所として心に残り続けるであろう。
小学5年の春  大姥山;大姥と金太郎の散歩道(第198話)  2005年5月8日
 宮城と違って山岳県である信州の里山は高所恐怖症の管理人にとっては体が固まってしまうような鎖場が多くある。

 ここ大姥山は“大姥と金太郎の散歩道”と称すものの登った道を下る勇気がなく大回りして登山口に戻った。その分、山菜を採ることが出来た。

 山頂には電波塔があるので登山道とは反対側の斜面には車道がある。その車道を大町市に抜ける峠で多くのギンイチモンジセセリを目撃した。

 また登ってみようとは思わないが何か惹かれるものがある里山だ。怖い思いをすると記憶に刻まれるからであろうか。
小学5年の夏  霧ケ峰高原;ニッコウキスゲの丘(第210話)  2005年7月9日
 6月に湯ノ丸山のレンゲツツジと龍門渕公園アヤメを見た。それならニッコウキスゲを見なきゃならぬと車山から霧ケ峰高原に行くことになった。

 車山ではニッコウキスゲが咲き乱れる斜面でウラギンヒョウモンの大量発生を見た。本当にすごい数でビックリした。

 何故こんなにと思うほどのニッコウキスゲ、山肌一面が黄金色に染まっていた。いつまで見ていても飽きない高原の風景に堪能した。

 今度は蝶の撮影を目的に車山〜霧ケ峰高原〜美ケ原高原に行ってみよう。そういえば蝶の撮影のために同所に行ったことはない。
小学5年の秋  鬼押出し園;鬼押出し溶岩流(第224話)  2005年9月23日
 姉に道案内を頼みキノコ採りに湯ノ丸高原に行く。雨が降らないこともありキノコは不作で数えるほどしか採れなかった。

 北軽井沢方面に足を伸ばすが当然のことながら何処も同じ。キノコ狩りを諦め鬼押出し園に行ってみることにした。

 溶岩流を登る“岩の精”に出合った。想像力を働かせるといろんなものが見えてくる。そんな不思議な場所なので再訪してみたい。

 遊歩道を外れると目標物が見えなく遭難してしまう危険性があるので探検はしないよう。シーズンにはミヤマモンキチョウも見られるかもしれない。
小学5年の冬  水ノ塔山;恐怖の七千尺屋根(第231話)  2005年11月3日
 赤茶けた崩壊斜面を見せる水ノ塔山、稜線を歩くときは本当に怖く覗き込むことは勿論出来ない。高峰温泉側から登り池ノ平湿原に降りた。

 赤茶けた崩壊斜面の上部の長さが七千尺あることから“七千尺屋根”と呼ばれている。七千尺屋根を通り抜け篭ノ登山に着いたら雨が降ってきた。

 登山道が滑り易くなってきたので池ノ平湿原に降り2000m林道“高峰湯ノ丸線”を歩いて戻った。雨の中なので道のりは実際より長く感じた。

 シーズンだと写真の場所は多分ミヤマモンキチョウが飛んでいるであろう。帰路に使った林道には珍しい蝶がいそうなので再訪してみよう。
小学6年の春  白馬の女神;春の女神の揃い踏み(第249話)  2006年5月21日
 大雪の影響で季節のズレが2週間程度続いた。そんなこともあってカタクリが咲き終わる頃にヒメギフチョウとギフチョウが羽化した。

 白馬はヒメギフチョウとギフチョウの混生地として知られる。この日は両種の撮影に成功した。4月の終わりから6月一杯まで白馬通いが続いた。

 カタクリではないが山桜で吸蜜する最高の出来栄えの広角写真に大満足した。次は白馬三山をバックにした広角撮影に挑戦しよう。

 数%以下の確率で出現する“イエローバンド”の撮影を来シーズン以降の目標として白馬通いはまだまだ続くであろう。
小学6年の夏  天然記念物;アルプスの妖精(第253話)  2006年6月7日
 蝶シーズンの夏は、オオルリシジミにしようかアサマシジミにしようかと選択に迷う。高所恐怖症の管理人には無縁と思っていた蝶に決めた。

 アルプスの妖精と名付けたクモマツマキチョウである。片道2時間を費やしポイントへ、2度目のトライで撮影に成功した。

 2度目のトライで撮影したのはメスであった。ピントが合わなくお見せ出来ない。3度目のトライで撮影出来たのはオスである。

 新しいデジカメは機動性に富むのでピンボケは少ないかも知れない。焦点距離が長くなったので今までのデジカメのようには撮れない。
小学6年の秋  木曽駒ケ岳;木曽山脈の最高峰(第282話)  2006年10月9日
 兄に付き合った昨秋の千曲川撮影紀行は米子大瀑布と秋山郷であった。今年は犀川撮影紀行の初年度として奈良井川源流を極めた。

 犀川と千曲川の合流地点と奈良井川と梓川が合流して犀川になる起点部を撮影した。その後、奈良井宿まで移動し宿場内で宿泊した。

 翌日は奈良井川の源流を極め、鳥居峠を見てから駒ヶ根市の早太郎温泉で宿泊、翌日は奈良井川源流を持つ木曽駒ケ岳に登った。

 川あり山ありの2泊3日の犀川・奈良井川撮影紀行を終え、前日が亡父の命日だったので実家に寄って墓参りをした。
小学6年の冬  渋温泉;地獄谷野猿公苑(第295話)  2006年12月11日
 やはり冬は温泉に限るね。渋温泉の地獄谷野猿公苑を見学した後で渋温泉の外湯巡りとはいきませんでしたが第9番の“大湯”に入ってきました。

 渋温泉の外湯“大湯”は貸切状態でした。温度が高く水をうめ湯もみしても熱くて「いい湯だなぁ〜♪」というわけにはいかなかった。

 地獄谷から数km離れた渋温泉街でも野猿一家の歩く姿を見かけました。長閑な初冬の温泉街を散歩しお蕎麦を食べ温泉饅頭を土産にしました。

 小学6年、卒業前の浪漫紀行にしては年寄りを思わす内容になりました。このページは卒業文集のようなものです。
 小学校を卒業し中学生になる“浪漫紀行”の作風はどうなるでしょうか。少し大人っぽく個性を出してみたいという気持ちもあります。
 小学1年生のときに買ってもらった制服(C-2100)は9月に壊れてしまいました。少し早かったけど中学生としての制服(SP-510UZ)も少しづつ馴染んできています。
 中学生になったのだから少しお洒落をしたくなりコンバージョンレンズ(テレ&ワイド)も買ってもらいました。道具が揃ったので画風も変わると思います。
 中学時代のテーマは“時空を撮る”に決めました。これに合わせてトップページも入れ替えたいですが気にいっているのでもう少し続けます。さて、どんな浪漫紀行になるか期待して下さい。