二年後の被災地 宮城県沿岸北部へ
 2013.03.15 (金) 快晴
 仙台出張に合わせ東日本大震災の発生翌月から被災地を訪ねてきた。震災から二年目にしてようやく宮城県沿岸北部の気仙沼市と南三陸町を訪ねることが出来た。
 22時過ぎに家を出て何時ものルートで7時間後に宮城県に入った。

 妻が用意してくれた朝食を頂きながら白石で日の出を眺めた。ゆっくりし過ぎたので仙台バイパスを通過する頃は通勤ラッシュだった。

 成瀬奥松島ICから三陸自動車道に乗る予定だったが渋滞が酷かったのでナビ任せで農道を走った。

 古いナビなので迷いに迷ったので登米史跡は帰りに見ることにし先を急いだ。
宮城県白石市の日の出時刻 5:59
 道の駅「津山」に9:40着。この先10km足らずで津波被災地だ。

 津山杉を加工した「矢羽木工品」は手の込んだ名産品。手頃の銘々皿を3枚購入した。
 
矢羽木工品 道の駅「津山」に併設する木工芸の里「もくもくハウス」
 ホテル観洋はドライブ旅行で泊まったことがある。

 ホテル前の駐車場から志津川湾を眺めてみた。海抜24mにある当館も津波の浸水被害があったようだ。
 
ホテル観洋から眺める志津川湾 志津川病院のみが残る
 南三陸町(志津川町と歌津町)の市街地はリアス式海岸の湾部に開けている。いずれも防潮堤はあったが完全に破壊された。復興には非常に難しい課題が多いと言われているようだ。
 志津川の中信街に取り壊されずに残っている志津川病院と防災対策庁舎が痛々しい。

 防災対策庁舎の正面玄関跡に献花台があったので手を合わせた。訪ねる人が後を絶たない。

 津波の高さは屋上より2mほど上なのでアンテナの半分程度が見えるくらいです。
多くの職員が居残り避難を呼び掛け続けた 防災対策庁舎
 歌津町に向かう国道45号の脇に公園のような高台がありました。多くの人が駆け上がったと思います。

 そこから志津川の街を見渡してみました。帰宅してから標高を地図で調べ試算してみると更に10m以上水没したようです。

 押し寄せた津波の恐ろしさを目の当たりにすれば、もう此処には住みたくないという気持ちはよく分かります。
志津川市街地一帯は更地に
 此処は大谷海岸を抜けた高台を走る45号だと思います。その高台には何も残っていません。

 車を止め海が見えるところまで歩いていった。何と、高台と思っていたのに高台じゃありません。

 急に怖くなってきました。旅行者だったら安心して留まり・・・・そこに津波が押し寄せ呑み込まれてしまうでしょう。
大谷海岸の北側 国道45号沿い
 45号には「過去の津波浸水域 ここまで」という表示板が至る所にありました。中には“こんなところまで”と思える場所にもありました。避難経路も表示して頂けたら安心して旅行もできるのですが・・・・。
 仙台平野の津波被災地と大きな違いに気づいた。仙台平野は津波が進行方向の回転をしながら押し寄せたので道路の陸地側が大きくえぐられ陥没していた。これが三陸リアス海岸では見られないことだ。
 標高表示の地形図で確認すると岩井崎の根元まで海抜10m以下の海岸部が続いている。

 大谷海岸は海水浴場だ。海岸は遠浅なのだろう。海岸に打ち寄せる波のように津波が襲ってきたのだろうか・・・・多分早い速度だろう。

 大谷郵便局付近(海抜22m)まで津波の痕跡が残っていた。海岸から500~600mはあろうか。
上の写真の陸地側 津波で全て流された(海抜20m)
 大船渡線の鹿折唐桑駅前に漂着した大型漁船を撮っていると近くにお住まいのご婦人が話し掛けてきた。

 モニュメントとして残すか撤去するかについて・・・・勿論「撤去」と言うと「私も」と笑顔で答えられた。
 
第十八共徳丸 鹿折唐桑駅周辺(海抜6m) 湾岸から500mの位置
 気仙沼プラザホテルではセミナーの講師として招かれ宿泊したこともある。

 懇親会の席で地元の社長様方といろいろお話をさせて頂いたことが蘇ってきた。
 
気仙沼プラザホテル(気仙沼湾最奥部県道5号より) 被災地の先に見える亀山(大島)
 ここから志津川まで運転しながらカメラのシャッターを切った。トリミングして使えそうな写真だけ編集し選んでみた。
 沿線沿いは綺麗に片付けられているので悲惨さは伝わってこなかった。ただ、何もなくなった居住地を抜けるときは胸が強く締め付けられた。
 津谷町でもセミナー講師として招かれたことがある。大谷海岸の「はまなす海洋館」(昔の建物)で宿泊した記憶がある。

 美味しい魚介類は地場漁師さんから直接仕入れていると伺ったことを思い出し懐かしかった。

 車窓からの景色が次々に変っていくように思い出も走馬灯のように脳裏に映ったり消えたりした。
大谷海岸 はまなす海洋館付近
 歌津大橋が破壊され迂回道を通行した。立ち寄り魚竜化石を見たことを思い出した。

 歌津の沿岸市街地も全壊し何も残っていなかった。
 
消滅した歌津市街地 歌津駅(海抜24m)
 登米町の信金様にセミナーの事前打ち合わせで来たことがある。

 その日は「阪神淡路大震災」が起きた日('95.1.17)で震災ニュースをカーラジオで聞きながら出向いた記憶が真新しい。
 
警察資料館(登米市) 教育資料館(登米市)
 登米市は「みやぎの明治村」と呼ばれるほどに明治の歴史が残っている。この後、大崎市(古川市)へと大きく迂回した。かつての顧問先に寄り社長様と旧交を温めた。宿泊地の仙台に着いたのは20時であった。
- 合掌 -