かさね (栃木県) ; 奥の細道“黒羽-殺生石” |
2013.07.19 (金) 晴 |
修験光明寺跡 | 芭蕉句碑(画像Clickで拡大) | |
長くに滞在した黒羽の地を後に、これからの道中の無事を祈った句「夏山に 足駄を拝む 首途哉」なる芭蕉の句が道路脇の藪の中にあった。(Clickで説明板拡大) |
西教寺より半里ほどの所に玉藻稲荷神社があり、芭蕉の句碑「秣負う 人を枝折の 夏野哉」と源実朝の歌碑「武士の矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原」がある。 | |||
玉藻稲荷神社 | 芭蕉句碑(画像Clickで拡大) | 源実朝歌碑(画像Clickで拡大) |
明王寺本堂 | 芭蕉句碑(画像Clickで拡大) | |
黒羽の街に戻り常念寺近くの明王寺には、芭蕉の句碑「今日も又 朝日を拝む 石の上」がある。寺の前では工事をしており交互通行、少し先の高岩神社の駐車場に止めさせて頂き戻った。 |
【遊行柳;芦野】 旧陸羽街道(現在国道294号)の宿場町、城下町 | |||
「おくの細道」は、黒羽を出て芦野の「遊行柳」(説明文)を経て高久-殺生石へと向かう。 遊行柳には芭蕉の句碑「田一枚 植て立去 柳かな」と西行の歌碑「道のべに 清水流るる しばしとてこそ 立ちどまりつれ」がある。 |
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芭蕉句碑(画像Clickで拡大) | 西行歌碑(画像Clickで拡大) | 遊行柳 | |
明治になり鉄道・国道ともに芦野を通らなくなり宿場町・城下町であった芦野は歴史の街になってしまった。時間があれば旧陸羽街道を走ってみたかったが、高久へはナビの案内に任せた。 |
【おくの細道:高久】 芭蕉二宿の地(雨のため2泊) | ||
芭蕉・曽良句碑(画像Clickで拡大) | 高福寺の「本堂」 | |
高福寺はR4号黒磯バイパス瀬縫交差点脇にあるお寺で門が工事中のため句碑の場所が分かり難かった。門をくぐり左手に池がある。そこに芭蕉と曽良の句碑がある。芭蕉は「落くるやたかくの宿の時鳥」、曽良は「一と間をしのぐみじか夜の雨」と詠っている。 |
芭蕉二宿の地(高久家跡) | 芭蕉・曽良句碑(画像Clickで拡大) | |
芭蕉二宿の地(高久覚左衛門家跡)の庭には芭蕉と曽良の句碑がある。芭蕉は「落ちくるやたかくの宿の郭公」、曽良は「木の間をのぞく短夜の雨」を詠んでいる。 |
芭蕉が一夜を明かした高久の宿の子孫がこれを記念し後年に記念碑を建てた。別名「杜鵑の墓」とも呼ばれている。芭蕉二宿の地、左隣にある。 | ||
別名「杜鵑の墓」 | 芭蕉翁塚(杜鵑の墓) |
【お菓子の城】 那須土産を買う(過去に来たような記憶あり) | ||
高久から那須湯本に向かう途中に「お菓子の城」がある。 出張土産は仙台で買っている。たまには違うものもよかろうと4種のお菓子を買った。 遊行柳では雨が降ってきた。那須岳方向は雲がかかり見えない。青空が出てはいるが時々小雨になる。 |
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お菓子の城(那須ハートランド) |
【おくの細道:殺生石】 温泉(ゆせん)神社と殺生石(せっしょうせき) | ||
黒羽を出発して殺生石に向かう。伝説にある玉藻前が九尾の狐としての正体を暴かれ、射殺されたあと石に変化したという。その石が「殺生石」で芭蕉・曽良は一目見たかっだのだろうか。 | ||
参道鳥居前の駐車場に車を止め向かいの観光センターに立ち寄り句碑の場所を確認した。 雨が降り出したので傘を持ち参道を登る。すぐに雨は上がり陽射しが参道を照らす。 |
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温泉神社/参道鳥居(那須湯本温泉) |
教伝地獄(上)と千体地獄(下) | 温泉神社(本殿)展望所から見下ろす「殺生石」 | |
温泉神社の展望所から殺生石全体が見渡せる。下に降り遊歩道から赤く見える地蔵を撮影したものが小画像で、上部半分が「教伝地蔵」、下半分が「千体地蔵」である。 |
「殺生石」の右手に、芭蕉の句碑「石の香や 夏草赤く 露暑し」がある。 | ||
殺生石 | 芭蕉句碑(画像Clickで拡大) | |
那須湯本温泉は「那須七湯」のひとつであり最も古い温泉。(よくある話だが)昔、傷を負った鹿がこの湯で傷を癒したことから「鹿の湯」という名がついた。殺生石近くにある共同浴場が「鹿の湯」の名を引き継いでいる。 |
湯の花採取(湯の花畑) | 盲蛇石 | |
遊歩道の中間部に、湯の花採取の「湯の花畑」がある。また、殺生石入口近くには「盲蛇石」がある。 |