芭蕉句碑(群馬県西部) ; 芭蕉未踏の地を訪れる |
2014.05.09(金)晴 |
姉から「何処かへドライブしよう」と連休前から誘われていた。あえて混雑する連休に出掛けることもないので連休明けに延期していた。そして「富岡製糸場」見学の未知草として群馬西部ぱはょう句碑を選んだ。 | ||
【碓氷第6橋梁】 | ||
中山道(国道18号旧道)碓氷峠を下ると「坂本宿」があり、入口に芭蕉句碑がある。 国道18号碓氷バイパスを横川まで下って戻るにはロスがある。 そこで「富岡製糸場」への道草の「未知草」として「煉瓦造の橋梁」(アプトの道)に寄り道した。 なお、「アプトの道」詳細は、「浪漫紀行」の第631話「アプトの道;穿つトンネル26・・・・」をご覧ください。 |
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【碓氷第5橋梁】 | ||
碓氷峠越えの鉄道は、群馬や長野の蚕糸業に大きな影響を与えただけでなく、近代日本の工業化の推進にも重要な役割を果たした。 ・・・・と記された説明文から「碓氷峠鉄道施設」は、世界文化遺産の登録に要す「絹産業遺産群」のひとつとして少なからず関わり(上記説明文後半のインフラとして)を持っている。 ・・・・という観点から、「未知草」の一つ故に本ページに繰り入れた。 |
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【碓氷第3橋梁(通称めがね橋)】 | ||
赤煉瓦と眩い新緑のコラボ、好天に恵まれた午前の陽射しで綺麗な写真が撮れた。 橋脚の周囲には、ミヤマカラスアゲハやサカハチチョウが吸水に来ていた。 |
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赤煉瓦と眩い新緑のコラボ、好天に恵まれた午前の陽射しで綺麗な写真が撮れた。「未知草」の代替候補として「煉瓦の街深谷」を挙げたがルート上の煉瓦造りの「碓氷峠鉄道施設」に決めて良かったと思う。 | ||
群馬西部の芭蕉句碑、リストアップしたのは7ヶ所であった。最も所在に自信があったはずの「安中市板鼻町の鷹巣神社」の句碑が見当たらなく付近で尋ねても「・・・」であった。 | ||
【八幡宮神社】松井田町坂本 | ||
中山道(国道18号旧道)碓氷峠を下ると「坂本宿」がある。 その入口左手に地図に載っていない八幡宮神社があり鳥居の右手に参道がある。参道登口左手に「芭蕉句碑」がある。 |
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句碑は、①「ひとつ脱て うしろに負ひぬ 衣かな」(ひとつぬいで うしろにおいぬ ころもがえ)、この時期味わい深い句ですね。貞享5年4月1日(1688.4.30)和歌浦から奈良に向かう道中で詠んだ句。(笈の小文) | ||
【鳥総神社】富岡市中沢 | ||
横川から富岡に向かう途中にある神社だが古いカーナビ故に高速道路上設定になってしまう。 毎度のこと、道を尋ねると「すぐそこ」と指呼。「芭蕉句碑」も紛らわしく違う句碑を撮り続けた。 |
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句碑は、②「花に遊ぶ 虻なくらひそ 友すずめ」(はなにあそぶ あぶなくらいそ ともすずめ)。貞享4年(44歳)、荘子(無為自然)に熱中した頃の句(続の原)。これは「吉岡八幡神社」(宮城県大和町)と同じです。 | ||
【天台宗永寿寺】下仁田町東野牧 | ||
「芭蕉句碑」は裏山の墓地入口の日向斜面にあった。 世界文化遺産「富岡製糸場」の関連遺産である「荒船風穴」(絹産業遺産群)まで11km、下調べをしてあったら行っていただろう。 |
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句碑は、③「涅槃會や 皺手合する 数珠の音」(ねはんえや しわであわする じゅずのおと)。元禄7年に詠んだ句(続猿蓑)。全国にある句碑の中で最もと古さを競うものの一つ。 | ||
そろそろお昼にしようよ・・・・前方後円墳「太子堂塚」の後円墳上にある句碑を見ながらを勧めたが着いてみると食事を摂るには相応しくない。この後、近くで展望がきく桜の名所「一峯公園」で姉の手作り料理を食した。 | ||
【太子堂塚】富岡市一ノ宮 | ||
下調べをしたネット上での画像とは想像もつかない変りよう。 古墳そのものが畑になっていて、「芭蕉句碑」の表は大きな梅の木の枝がかぶさっていた。姉に小枝を持ち上げてもらい句碑表を撮影した。 |
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句碑は、④「花の蔭 諷似たる 旅寝かな」(はなのかげ うたいににたる たびねかな)。貞享5年、大和國草尾村にて詠んだ句。(曠野) | ||
【藤木観音堂】富岡市藤木 | ||
「芭蕉句碑」は逆光で真っ黒、何とかストロボを使い撮影した。 句碑は、⑤「観音能 甍見也李都 花の雲」(かんのんの いらかみやりつ はなのくも)。貞享3年、深川で病床で詠んだ句。(末若葉) |
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