旅人曾良 生誕の地と菩提寺
 2014.06.05 (木) 曇
 松尾芭蕉の「奥の細道」で、「随行日記」を記した「曾良」は信州人。その生誕の地ならびに菩提寺がある諏訪地区を牛伏川階段流路・牛伏寺に続いて兄と訪ねた。
  【曹洞宗愛宕山地蔵寺】諏訪市岡村
 諏訪方面の「蝶の撮影」で霧ヶ峰経由のコース上にあり「気になっていたお寺」が「地蔵寺」。
 本堂裏には日本百名庭園「清水之飛泉」(池泉鑑賞兼廻遊式/江戸初期の代表作)がある。
 
 その庭園の奥に曾良の句碑、①「興々ろせよ 下駄の響も 萩の露」(こころせよ げたのひびきも はぎのつゆ)があります。
 右隣は「小平雪人」の句碑です。
 
 
 何やら真新しい寺・・・・新興宗教?と思っていたが、何と「金子城」の鬼門除けの寺として1584年に建立、後に「高島城」への移転を機に高島城(諏訪藩)の鬼門除けの寺になり今日に至るという由緒あるお寺さんだった。
  【浄土宗桑原山不断院正願寺】
 「地蔵寺」から徒歩数分の所にあり、「河合曾良の菩提寺」として知られている。
 近くには生家といわれる「麗人酒造」という造酒屋がある。
 
 周辺は城下町特有の細い迷路で一方通行になっている。そんな狭い範囲にお寺さんは5つもある。「正願寺」には専用駐車場はないのかも・・・・寺への案内表示はあっても「P表示」はなく狭い参道に乗り入れた。
 「本堂」左手に「曾良像」と「句碑」、②「ゑりわ里て 古き住家の 月見かな」(えりわりて ふるきすみかの つきみかな)があります。
 説明書に③
「松島や 鶴に身を借れ ほととぎす」(まつしまや つるにみをかれ ほととぎす)の句がある。
 
 「河合曾良」は35歳で芭蕉門下になった「芭蕉門十哲の一人」(1649-1710年)、幼くして両親と死別、伯母の養子になるも再び死別、伊勢長島の親戚に引き取られる。(旅人“曾良”の人生)
 62歳、旅先の壱岐勝本で病死、勝本の能満寺に墓がある。(現、長崎県壱岐市)
 墓碑刻として曾良の句、④「春にわれ 乞食やめても 筑紫か奈」(はるにわれ こじきやめても つくしかな)があります。 
 
 さて「曾良」という名は、成人した伊勢長島の地が木曽川と長良川に囲まれていたことより「木川+長川」としたようです。
【高島城】諏訪市高島  
 「本願寺」の次は「文学の道公園」だが・・・・ナビに「目的地周辺」と見放されてしまった。
 一方通行を回り回って嫌気、目の前に「高島城」が見えた。こうなったら予定変更だ。
 
 兄を降ろし近場の駐車場(市役所隣)に車を置き「高島城公園」に、路肩に車を止め最初に撮影した大画像(逆光)に勝る撮影ポイントは見付けられなかった。
 駐車場に戻る途中に「諏訪護國神社」があり、隣の「多門跡」に芭蕉の句碑を見つけた。
 ⑤
「花に遊ぶ 虻那くらひそ 友雀」(はなにあそぶ あぶなくらいそ ともすずめ)という句でした。
 
【四吟碑】諏訪市中洲
 
 グーグルストリートビューで場所を特定した見逃せない曾良の句碑が「四吟碑」の最後に刻まれていた。⑥「剃捨て 黒髪山に ころもかへ」(そりすてて くろかみやまに ころもかへ)。「奥の細道」旅中、日光で詠んだ句。
【水月園/慈雲寺】下諏訪町東町中
 
 
 慈雲寺・水月園の水月会句碑群に曾良の句碑があるとのことで最後に立ち寄った。⑦「夜もすがら 秋風きくや 裏の山」(よもすがら あきかぜきくや うらのやま)。並んで芭蕉の句碑、⑧「しばらくは 花の上なる 月夜かな」(しばらくは はなのうえなる つきよかな)(大画像左、小画像下)があった。