芭蕉句碑 奥の細道(山形編)と立石寺
 2014.07.18(金) 曇
 天気予報と睨めっこしながら山形市を中心にした芭蕉句碑めぐりを計画した。直前になり「白石蔵王から山形道で山形入り」するコースから「新潟村上から南陽経由で山形入り」するコースに変更した。
  【千歳山公園】山形市平清水
 小雨降る中、24時に家を出た。途中の数ヶ所で豪雨に遭い道中が心配になった。
 夜明けは、R7(新新バイパス)の「道の駅豊栄」で休憩した頃。
 R290からR113に入る頃(関川バイパス)、行く手の空は雨上がりを伺わせた。
 「千歳山公園」に着いたのは予定より2時間早い7時半。句碑の在処は案ずることなく容易に見つかった。
 千歳山公園の句碑建立は1823年、専称寺の句碑は1985年、探せなかった旧山寺街道の句碑は1981年と最近になっての建立が2碑。
 芭蕉句碑は、①「眉はきを 俤にして 紅の花」(まゆはきを おもかげにして べにのはな)/(おくの細道)。「奥の細道」立石への道中で詠んだ句。(碑文の拡大
【六椹八幡宮】山形市鉄砲町  
 「六椹八幡宮」(むつくぬぎ)、なかなか読めない。
 芭蕉句碑は、②
「雲をりをり 人を休むる 月見かな」(くもおりおり ひとをやすめる つきみかな)。貞享2年の作。
 
  【大龍寺】山形市七日町
 「大龍寺」さんは地元の人に尋ねて在処がわかった。
 芭蕉句碑は、③
「朝よさを 誰まつしまそ 片心」(あさよさを たがまつしまぞ かたごころ)。元禄元年の作。(碑文の拡大
 
【専称寺】山形市緑町  
 芭蕉句碑は本堂正面左手にある。④「眉はきを おもかけにして へにの花」(まゆはきを おもかげにして べにのはな)
 建立は1985年(昭和60年)と新しい。(碑文の拡大
 
 最上義光の二女駒姫は豊臣秀吉の息子秀次に召されて上洛、まもなく謀反の疑いで秀次は切腹、駒姫も15歳の若さで処刑された。嘆き悲しんだ義光は天童にあった専称寺を当地に移し菩提寺とした。編集の際に知ったことなので、当日は芭蕉句碑にしか目は向いていなかった。
  【極楽寺】山形市六日町
 芭蕉句碑は、⑤「世にさかる 花にも念佛 申しけり」(よにさかる はなにもねぶつ もうしけり)、貞享元年の作とされる。
 
 右側が「芭蕉句碑」で左上にあるのが「芭蕉翁」、その「芭蕉翁」は昭和30年(1955年)に縁側の踏石になっていたものを発見し修造。句碑はその際に改めて建立されたもの。
【出羽国分寺薬師堂】山形市薬師町  
 芭蕉句碑は、⑥「松風の 落葉か水の 音涼し」(まつかぜの おちばかみずの おとすずし)、貞享元年の作とされる。(碑文の拡大
 
 国分寺は聖武天皇が仏教による国家鎮護のため全国に建立を命じた寺院で国分僧寺と国分尼寺がある。さて、出羽国分寺といえば前者は酒田市、後者は不明となっている。従って山形市の出羽国分寺のことは何も触れていない。ネットで調べたが解らない。
  【山形美術館】山形市大手町
 芭蕉句碑は、⑦「雲をりをり 人をやすむる 月見かな」(くもおりおり ひとをやすめる つきみかな)、貞享2年の作。
 全国の芭蕉句碑の中で最古であるとか・・・・、(美術館説明
 
 予定では大龍寺の次で、行ってみたが在処が掴めず。美術館入口の駐車場で聞いたら「博物館では」と言われ、霞城公園の県立博物館に行ったら美術館3階ロビーにあると教えられた。美術館は10時開館、まだ30分強あるので3ヶ所を回っての再訪である。
【個人所有】山形市北山形  
 
 芭蕉句碑は、⑧「けふはかり 人もとしよれ 初時雨」(きょうばかり ひともとしよれ はつしぐれ)、元禄5年の作。山形肴町郵便局より徒歩1分、個人宅なので郵便局で地番を確認し車を止めさせて頂き伺った。
  【延命寺】山形市北江俣
 
 芭蕉句碑は、⑨「ものいへは 唇寒し 秋の風」(ものいえば くちびるさむし あきのかぜ)、元禄年間なるも作句年不詳なるも元禄4年との説もある。句碑は太刀のように細長く反りのある石、まるで短冊のようだ。碑文を鮮明に撮影するには苦労した。
【稲荷神社】山形市西江俣  
 芭蕉句碑は、⑩「蓑むしの 音を聞に来よ 草の庵」(みのむしの ねをききにこよ くさのいお)、貞享4年の作。
 
 最近、不審者の事件が多い。フェンス脇の停車しカメラを持って境内に入ろうとしたらご婦人が通りかかった。キチンと挨拶をし名乗った上で撮影目的を伝えたら、『ご苦労様です』と笑顔で返事が返ってきた。何処の句碑撮影でも「挨拶」を欠かさない。声を掛けても誰も居ない場合は、句碑に向かって「会釈」をしている。
  【神明神社】山形市鮨洗
 芭蕉句碑は、⑪「古池や 蛙とひこむ 水の音」(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)、貞享3年の作。 この句は、芭蕉作品中「最も人口に膾炙した俳句中の俳句」故に方々で見掛ける。
 
 ナビ設定は、隣の「宝積院」にした。この後、山形市漆山の東北ビバレッジにある「摩遊はきを をもかけにして 紅の花」(まゆはきを おもかけにして べにのはな)を訪ねるも、今は行く先不明(社員、隣接の稲荷神社の宮司様に伺う)になっていた。
【旧山寺街道】天童市下荻野戸  
 「奥の細道」立石への道中で詠んだ句、「眉掃を 俤にして 紅粉の花」を見ようと「旧山寺街道」を歩くも見つからず。
 揚句、汗をぬぐいながら車に戻るとパンクしていた。応急処置をしてスタンドに向かう。
 もう少し解り易い案内表示をして頂きたいものだ。
 幸か不幸か、そのため「城山公園」(念仏寺跡)の句碑を見ることが出来た。「一つ捨てて二つ得た」ことになった。
 この写真と行動は「立石寺」から「天童公園」(愛宕神社)に向かう際のもの、編集の都合上「当位置」に繰り入れた。
 - 立石寺/山形市山寺 ー
  【根本中堂(本堂)】芭蕉句碑
 「根本中堂」とあるが一般に言う「本堂」に相当するもので正面左手に並んで芭蕉句碑がある。
 
 芭蕉句碑は、⑫「閑さや 巌にしみ入 蝉の聲」(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)/(おくの細道)。「奥の細道」道中5月27日で詠んだ句。「奥の細道」集中で最も優れた句の一つ。
【日枝神社】芭蕉と手水盤  
 
 「手水盤」とは、手を清めるための水をいれる盤。屋根で覆われているものが多く、その全体を「手水舎」と言う。鳥居をくぐってすぐの所にあって、拝礼の前に手を洗い口をすすいで身を清める。これには作法がある。 
  【秘宝館】句碑・芭蕉と空良像
 
 芭蕉句碑は、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)。句碑ならびに芭蕉・空良像をクリックすると拡大します。
【せみ塚】仁王門下の翁塚  
 
 芭蕉句は、⑭「静かさや 岩にしみ入 蝉の聲」(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)。芭蕉の句をしたためた短冊を、この地に埋めて石の塚を建てたもの。(説明版の拡大
【船岡の一目千本桜】ビューポイントから撮影したものです。(画像クリックで拡大)
 
立石寺根本中堂(本堂)   日枝神社 奥之院への山門
 
仁王門   性蔵院 金乗院
 
華蔵院   奥之院 開山堂
 
納経堂と眼下山寺の街   仁王門奥に並ぶ諸院 修行の岩場
  【旧東村山郡役所資料館】天童市
 念仏寺跡に行くため「旧東村山郡役所資料館」にナビ設定し、そこの駐車場に車を止めさせて頂いた。
 「念仏寺跡」は「城山公園」になっている。
 
【城山公園/念仏寺跡】天童市五日町  

 
 
 「城山公園/念仏寺跡」にある芭蕉句碑は、小画像上⑮「古池や 蛙飛びこむ 水の音」ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)と、小画像下⑯「行く末は 誰が肌ふれむ 紅の繁」(ゆくすゑは たがはだふれむ べにのはな)/西華集なるも「存疑」とする見方もあり。(翁塚
  【舞鶴山公園】天童市北目城山
 「城山公園」句碑脇から「天童公園文学の森」に上る遊歩道がある。
 「文学の森」から細い道を下ると愛宕神社の裏参道に合流し、そこに芭蕉句碑がある。
 
 芭蕉句碑は、⑰「雲の峯 いくつ崩れて 月の山」(くものみね いくつくずれて つきのやま)/(おくのほそ道)。「奥の細道」道中、月山にて詠んだ句。
 未明の豪雨が嘘であったように思えた芭蕉句碑巡りは16時で終了、余裕をもってR48で仙台に向かった。今回の「旅の未知草」は(960-880=80km)、充実した句碑めくりだった。