芭蕉句碑 ; 高崎市内を中心に |
2014.11.14(金) 快晴 |
【瀧の宮神社】高崎市菅谷町 | ||
仙台出張で安中から前橋に抜ける県道10号、モスバーガー店の横にあるのでナビ設定は不要だ。 方向は順光だが、句碑には朝日が当たらず逆光。LEDライトを持参しているので「碑文」を撮影した。 |
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句碑②「名月や 池をめくりて 夜もすから」(めいげつや いけをめぐりて よもすがら)/(あつめ句)、貞享3年8月十五夜、芭蕉庵にて月見の会を催し隅田川に舟を浮かべ句会を楽しんだときの作。この句は「大光寺」(柴田町)と「繁桂寺」(藤岡町)で出会っている。 | ||
【妙見寺】高崎市引間町 | ||
合併により榛名山も高崎市になっている。高崎市北部にも句碑は幾つもある。 今回は時間的制約から、「妙見寺」を最北端部にして市内中心部に絞り込んだ。 |
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句碑③「春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅」(はるもやや けしきととのう つきとうめ)/(真蹟自画賛・続猿蓑)、元禄6年春、自画讃を含む画讃の句。朝日が照らすも木陰で写真としては不満足だが「碑文」も撮影したので掲載する。「瀧澤神社」(仙台市)で出会っている。 |
【清水寺】高崎市石原町 | ||
石段下は車で行こうかと思ったが運動がてら石段を下り、登りは一段飛び。 滞在予定は20分だったが33分かかった。石段の参道は長かった。 |
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句碑⑦「草いろいろ 各々花の 手からかな」(くさいろいろ おのおのはなの てがらかな)/(笈日記)、貞享5年8月、「更級紀行」への出発に際し美濃の門人たちに発した留別吟。句碑の右後ろの「説明板」もご覧ください。この句も初見になる。 | ||
「更級紀行」は「奥の細道」の半年ほど前でもあり、「奥の細道」への旅立ちの決め手も探れるであろう。地元でもあり、そのうちに「更級紀行」めぐりを計画してみよう。 |
【小祝神社】高崎市石原町 | ||
句碑撮影には地面に座り込まなければならないほど低位置かつ小さなものであった。 隣の保育園児たちでにぎわっていた。神社前の小路はとても狭く |
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句碑⑧「しはらくは 花の上なる 月夜かな」(しばらくは はなのうえなる つきよかな)/(初蝉)、元禄4年春の作。建立は新しいが「水月園」(下諏訪町)で出会っている。 |
【定家神社】高崎市下佐野町 | ||
大まかな設定で近くまで来たもののナビに見放され困惑した。 ヤマト運輸の集配センターがあったので場所を尋ねる。「あそこに看板が・・・・」と、またやってしまったと苦笑い。 |
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句碑⑩「松杉を 譽てや風の 薫る音」(まつすぎを ほめてやかぜの かおるおと)/(杉風真蹟書簡)、元禄7年夏、京都嵯峨の落柿舎滞在中の作とされる。芭蕉はこの年の秋に死去。判読困難ですが「碑文」拡大写真をご覧ください。「関東五社稲荷神社」(佐野市)で出会っている。 |
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句碑の撮影は「光線の方向と周囲とのコントラスト」に苦戦する。 |
【火雷若獅子神社】高崎市東中里町 | ||
句碑⑪「稲妻に さとらぬ人の 尊さよ」(いなずまに さとらぬひとの たっとさよ)/(己が光)、元禄3年秋の作。句碑建立は明治時代というが新しく感じた。この句も初見になる。 |
【八坂神社】高崎市新町 | ||
ここもナビ設定が出来なかったが「火雷若獅子神社」からの距離を誤り迷った挙句に「自衛隊前」信号に設定し無事到着。 下の小画像クリックで「八坂神社・柳の茶屋」の説明板が拡大表示。 |
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句碑⑫「傘に おしわけみたる やなぎかな」(からかさに おしわけみたる やなぎかな)/(炭俵)、元禄7年、濁子・野坡らとの句会での作。芭蕉はこの年の秋に死去。この句も初見になる。 |
【新町弁財天公園】高崎市新町 | ||
ここは「新町弁財天公園」で、イベントも行われるようだ。 専用駐車場がありトイレも整備されていたので助かった。 |
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句碑⑬「むすふより 早歯にひひく 泉かな」(むすぶより はやはにひびく いずみかな)/(新撰都曲)、「奥の細道」旅中、那須湯本での作という説もあるが不確定。そうは言うものの一見の価値あり、今回の目玉の一つ。この句も初見になる。 |
【慈願寺】高崎市下滝町 | ||
「木のもとは・・・・」とは「桜の木の下で花見を・・・・」という句だが、句碑表が藪に面しているので撮影に苦慮した。 何とか「碑文」を撮りたいと四苦八苦した。 |
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句碑⑭「木のもとは 汁もなますも さくらかな」(きのもとに しるもなますも さくらかな)/(ひさご)、元禄3年3月2日、伊賀上野風麦亭での花見の歌仙の発句。この句も初見になる。 | ||
高崎市内の句碑は此処まで、予定は12:40分だが約30分の余裕が出来た。これより「前橋南ICから鹿沼IC」まで高速で時間をさらに短縮させる。句碑めぐりにナビは(突き放すも)強い味方であることには変わりない。 |
【城山西小学校】宇都宮市古賀志町 | ||
電話番号でナビ設定した。その電話番号に携帯から「入校許可」を取り校庭と校舎前の句碑を撮影した。 第5回の芭蕉句碑;「例幣使街道」周辺紀行時は鹿沼で日没、立ち寄ることが出来なかった。 |
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句碑⑯「湯殿山 銭ふむ道の 泪かな」(ゆどのさん ぜにふむみちの なみだかな)(曾良)/(おくのほそ道)、「奥の細道」旅中、月山湯殿山に詣でての作。2つの句碑ともに初見である。 |
- 福島県 - | ||
【聯芳寺】白河市向寺 | ||
国道4号「女石」の信号近く、数えきれないほど通っているが全て夜間の時間帯、ようやく立ち寄ることが出来た。 | ||
句碑⑰「関守の 宿を水鶏に とはふもの」(せきもりの やどをくいなに とおうもの)/(何云宛真蹟書簡)、「奥の細道」旅中、須賀川での作。句碑の「説明板」、この句碑と次の句碑は当初計画に入っていた。 |
【神炊館神社】須賀川市諏訪町 | ||
帰路に立ち寄る予定だったが、明日の天気は当てにならないので何とか明るいうちにと時間短縮をした。 16:00とやや露出不足だったが撮影を終えることが出来た。 |
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句碑⑱「うら見せて 涼しき瀧の 心哉」(うらみせて すずしきたきの こころなり)、「奥の細道」旅中、日光裏見の滝での作。文学碑の「碑文」と「説明板」はここをクリック。 | ||
今回の走行距離は、「往路388km-帰路316km」したがって未知草距離は「72km」ということになります。最初のポイントに到着したのが5:56分、最終ポイントを後にしたのが15:56分。翌日の帰路に回そうかと思った「神炊館神社」を繰上げても予定の16:00分に4分早かった。 | ||
前回の往路770kmに比べれば短距離、それも前橋南から白河まで高速を使ったので中味も凝縮出来たうえ、天気も快晴と充実した未知草になった。 | ||
来月から3ヶ月は公共交通機関を使うので旅の未知草も限られてくる。それでも12月には、往路で「深川と千住」、会議後に「松島」を予定している。延期になった「糸魚川市から新潟市」は来年の雪融けを待っての紀行になる。夏には「北陸路から大垣まで」を回ってみたい。 |