奥の細道 一関と平泉再訪
 2015.07.17(金) 曇/雨
 台風11号が四国・中国地方への上陸を伺いゆっくりゆっくりと北上している。関東地方も影響を受け被害が出始めている。そんな中、台風が来ないうちに岩手探訪を済まそうと16日の22時に家を出た。(一関 6:36着)
  【配志和神社】岩手県一関市
 
 配志和神社の「初音塚」  
 社務所前の二段式庭園の上段にある芭蕉句碑。句碑①「此梅に 牛も初音と 鳴きつべし」(このうめに うしもはつねと なきつべし)、延宝4年2月、山口素堂との「江戸両吟集」第一巻の発句。
 
   配志和神社の「梅香塚」
 
 460段余りの参道石段を一気に駆け上がり、本殿左手前にある芭蕉句碑。句碑②「梅が香に のっと日の出る 山路かな」(うめがかに のっとひのでる やまじかな)、元禄7年、芭蕉最期の春、野坡との両吟歌仙の句で「炭俵」の冒頭を飾る名句。(句碑①②の説明板
【芭蕉二夜庵跡】岩手県一関市
 「奥の細道」旅中、元禄2年5月13日、芭蕉と曽良は平泉参詣のため一関の「金森邸」で二泊(5月12-13日)している。その地、磐井川に架かる磐井橋の袂に「二夜庵跡」(ふたやあん)がある。(説明板
奥の細道曽良旅日記抄 漂泊の詩人松尾芭蕉二夜庵跡 日本の道百選「奥の細道」
  【芭蕉の辻】岩手県一関市
 
 「おくのほそ道・芭蕉の辻」ならびに「日本の道百選“おくのほそ道”」が、JR東北本線ならびに東北新幹線「一関駅」の駅前信号近くにあった。
「日本の道百選“おくのほそ道”」  
 「日本の道百選」に登録されているのは「一関市道の金沢線と岩ヶ崎線」で、登録理由は「奥の細道芭蕉行脚の道」(一関市真柴字吉野沢-南新町-台町-萩荘字苅又の17.5km)。芭蕉と曽良が一関に入ってきたのが「金沢線」そして出ていったのが「岩ヶ崎線」(苅又一里塚/古道)。
 機会があれば、自転車で回ってみたいものだ・・・・。
 
 今回から新しい「ポータブル・ナビ」が仲間入り、純正ナビは時としてカーオーディオ、時には新ナビの補助として使うので捨てがたい。ナビルートが異なったり目的地の絞り込みにも差がある。新しい商品なのに古い地図の場所もあり人間ぽくってドライブの伴として楽しめる。
  カッパ崖 】岩手県一関市
 「日本の道百選“おくのほそ道”」の解説板なるもの・・・・一関の力の入れ具合が分かる。時間に余裕があれば見聞するもよし。
 
 平泉再訪の目的は、第1に「おくのほそ道の風景地」の撮影、第2は「毛越寺の旧碑の再撮影」にある。昨年の10月17日に平泉に行っているが、「さくら山」は今年の4月28日に追加認定された。
毛越寺 】岩手県平泉町  
 一関から毛越寺に着いたのは8時を回ったばかり、拝観時刻は8時半からなので駐車場でお店の人とお話をして待った。
 
 句碑③④⑤は、「夏草や 兵どもが 夢の跡」(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)、元禄2年5月13日「奥の細道」旅中「平泉」での作。(③旧句碑④新句碑
  「毛越寺」の3句碑
 句碑の再撮影、全開は夕日で今回は曇りの朝、木立の中ということもあり光線に左右される。全体的には前回より良く撮れたという実感はない。旅先での撮影は本当に難しい。
 
 句碑⑤は、「The summer grass 'Tis all that's left Of ancient warriors' dreams.」(夏草や・・・・)英訳句碑だが、俳句の原点から日本語以外は違和感があり理解に苦しむ。五七五を半角で区切って掲載しているが、これとて素人の私が読めるためのものだ。
【金鶏山】岩手県平泉町  
 
 「金鶏山」は「おくのほそ道の風景地」に指定、勿論「世界遺産」の構成資産でもある。山でなく塚・・・・ならばさほど時間もかからないだろうと雨傘持参で駆け上った。登口右手に「源義経公妻子之墓」があった。「金鶏山」の撮影は「彼岸の時期に無量光院跡(堂宇)を庭園の中島から眺めると金鶏山の頂に日没する」様を撮るべし。
  「金鶏山」頂の経塚
 
 山ユリが至る所で咲いていた。頂にある祠(経塚)の周囲(φ10mもあろうか?)を回ったが、平泉の街を眺望することは出来なかった。芭蕉は「三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたに有り。秀衡が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す」と紹介している。
「金鶏山」への道と「千手院」  
 
 「千手院」は「毛越寺」の子院の一つ、「金鶏山」の南裾に建てられている。堂内には「藤原三将軍の御位牌」「藤原秀衡公木像」等が安置されている。
 「無量光院跡から見た金鶏山は・・・・」(説明板)に書かれていた。当然「無量光院跡」から撮影するが、「まちづくりの基準となった省庁の山」故、真反対からも見ておかなきゃと回り込んで「その位置」を確認し撮影した。金鶏山とは、そのような存在だ。
【卯の花清水】岩手県平泉町
 
 前回、遠景撮影を忘れていたので撮り直した。句碑⑥「卯の花に 兼房みゆる 白毛かな」(うのはなに かねふさみゆる しらがかな)、元禄2年5月13日「奥の細道」旅中「平泉」で曾良の作。
【高館義経堂】岩手県平泉町
 
 句碑⑦「夏草や 兵どもが 夢の跡」(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)、元禄2年5月13日「奥の細道」旅中「平泉」での作。「高館」は、遠景「さくら山」を含め「おくのほそ道の風景地」(高館ならびにさくら山)という観点から再撮影ということで再訪した。
「おくのほそ道の風景地“高館”」  
 
 芭蕉と曽良が眺めた「北上川とさくら山」(束稲山)、「おくのほそ道の風景地」に「金鶏山」「高館」に続き「さくら山」が追加指定されている。「さくら山」に行った訳ではないし、他所からの眺望も記述は無さそうだ。いろんな角度で撮影してみるが此処からの撮影に最注力(広角撮影)した。
  無量光院跡 】岩手県平泉町
 「世界遺産」構成資産の一つ。西方極楽浄土が強く意識され、庭園・阿弥陀堂・背後の金鶏山が東西方向に並ぶように配置され建立されている。
 
 「無量光院跡から見た金鶏山は・・・・」、正にこんな感じです。宇治平等院鳳凰堂をモデルに建造、西方に極楽はあり、その主は阿弥陀如来。春秋彼岸の頃、無量光院の正面に立つと、西方にある金鶏山の真上に日が沈み、阿弥陀如来が浮かび上がる。秀衡が思い描いたこの世の極楽浄土だった。
中央後方が金鶏山
 時刻は10時を過ぎたところ、「柳之御所遺跡」に行き「高館丘陵」と「束稲山」の撮影を終えたら、予定している「中尊寺」(金色堂・句碑・月見坂・東物見台を予定)は露出不足で期待した撮影は望めないだろうと思い取り止めようと決めた。10人中10人は、長野から平泉に来て「中尊寺」を見ずして帰る人は居ないだろう。(実のところ、徹夜で走って来たので疲れが出てきたから止む無いのだ)
柳之御所遺跡 】岩手県平泉町
高館丘陵 金鶏山 さくら山(束稲山)
 「柳之御所遺跡」は、広大な「芝生公園?」で撮る対象といえば「高館丘陵」「金鶏山」「束稲山」、もともとそのつもりであったので駐車場を利用させて頂くに留めた。
  「さくら山」の撮影
 「おくのほそ道の風景地」に「高館橋」を撮り込んで趣は損なってしまったか・・・・。今日の「さくら山」は保存会の成果で徐々に桜樹は増えているようだが・・・・何処にでもある山桜の方がずっと綺麗とは・・・・。
 
 天気予報では「曇/雨」、それを承知での決行。露出不足下でも、それなりに撮影紀行を楽しむことが出来た。「せわしくも奥の細道碑撮り旅」は「色ヶ浜」の句碑を残し、「句碑」ならびに「おくのほそ道の風景地」を撮り終えた。宿泊地「仙台」で「おくのほそ道の風景地」用のアルバム3冊を購入した。「句碑」の方は、かつて同じ店で「蝶」用として購入した5冊があるので、これから徐々に編集していこうと思う。
「せわしくも奥の細道碑撮り旅」 完走祝って 「夕食くう奥の細道じざけ哉」
 
「岩手地酒めぐり」(限定醸造)   「岩手之地酒“あさ開”飲み比べ」
「掘野井」(高橋酒造店)
「浜千鳥」(浜千鳥)
「あさ開」(あさ開)
「鷲野尾」(わしの尾)
「関山」(両磐酒造)
  特別純米酒南部流きもと造り
純米酒昭和旭蔵
大吟醸酒南部流伝承造り
本醸造昭和旭蔵
純米吟醸酒南部流寒造り
 最近の碑撮り旅の土産は、「宮城の地酒」「越後の地酒」「加賀の地酒」「岩手の地酒」と続いています。冷酒1本を妻と空ける。日々の楽しみには飲み切り適量サイズ・・・・ささやかな贅沢、健康に感謝しています。