旅の未知草 ; 利根川周辺の芭蕉句碑 |
2015.10.16(金) 小雨 |
6月の旅の未知草(埼玉北部編)に続く埼玉続編。これぞ秋空という晴天が続いていた。それなのに・・・・、それなのに小雨の中での旅の未知草になった。そういえば、7月も雨天決行だった。 | ||
【玉村八幡宮】群馬県玉村町 | ||
日の出時刻に合せ家を午前4時少し前に出た。予定より30分早く到着、妻が用意してくれた朝食を食べ撮影条件が整うまで待機する。 「玉村八幡宮」は、日光例幣使街道玉村宿に鎮座する五神社。 |
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【高徳寺】群馬県大泉町 | ||
国道407号の「刀水橋」で大渋滞に巻き込まれ45分もかかってしまった。20代当時に熊谷に住んでいた頃、得意先(ST)訪問で通い慣れた道だ。勿論、当時の面影はない。 |
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「高徳寺」は「児島備後守高徳公終焉の地」と刻まれていた。その「児島高徳」は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍したとされる備前国児島郡林村出身の武将らしい。 |
「高徳寺」には3句・2句碑がある。まず山門左手にある芭蕉句碑、右側に03「目にかかる 時やことさら 五月富士」(めにかかる ときやことさら さつきふじ)/元禄6年5月「最後の富士」、左側に04「川上と この川下や 月の友」(かわかみと このかわしもや つきのとも)/元禄5年秋「小名木川の川端」にて詠んだ句。 |
芭蕉句碑、05「花の陰 謡に似たる 旅寝哉」(はなのかげ うたいににたる たびねかな)、元禄元年、「笈の小文」旅中「吉野の平尾村」にて詠んだ句。前述の「余りにもの渋滞」で、当地をパスしようと一時は思ったが、短気を起こさず「忍耐」で見に来て良かったと思った。 |
【妻沼聖天山】埼玉県熊谷市 | ||
日本三大聖天の一つ、「妻沼聖天山」(しょうてんざん)の「本殿」(歓喜院聖天山)は国宝指定。本殿外壁の彫刻は豪壮華麗「埼玉日光」として知られる名刹。 | ||
「日本三大聖天」とは、東京都大東区の「本龍院」(待乳山聖天)と奈良県生駒市の「宝山寺」(生駒聖天)の二大聖天に、ここ「歓喜院」(妻沼聖天)と静岡県小山町の「足柄山聖天堂」(足柄聖天)と三重県桑名市の「大福田寺」(桑名聖天)と兵庫県豊岡市の「東楽寺」(豊岡聖天)のいずれかを加えたもの・・・・!? |
鐘楼の西側にある二十三夜塔の前に芭蕉句碑がある。06「物いへば 唇寒し 秋の風」(ものいえば くちびるさむし あきのかぜ)、元禄年間の作。 |
前句碑の北側、平和の塔の南方に芭蕉句碑がある。07「いなづまや 闇の方行 五位の聲」(いなづまや やみのかたいく ごいのこえ)。元禄7年の作とされる。「五位」とは「五位鷺」(ごいさぎ)、「ゴイサギ」のこと。夜行性で夜間の飛翔中に「クワッ」とカラスのような大きな声で鳴くことから「ヨガラス」(夜烏)の名を持つ。 |
鐘楼 | 平和の塔 | 3つ目の句碑 |
平和橋の東方の木立に芭蕉句碑がある。08「古池や 蛙飛こむ 水のおと」(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)。貞享3年の作。(句部拡大)。 |
【大我井神社】埼玉県熊谷市 | ||
「妻沼聖天山」のすぐ隣りであったが、車を止めたのが「本殿」の裏手、広大な敷地の参道前なので車で移動した。 | ||
「大我井神社」(おおがいじんじゃ)は、明治政府による「神仏判然令」(神仏分離)までは「聖天宮」と混祀されていた。神仏分離に伴い「聖天宮」の境内外に新たに建造された。 |
社務所の横に芭蕉句碑がある。09「春の夜は 櫻に明て 仕廻けり」(はるのよは さくらにあけて しまいけり)。元禄年間の作。本句しかり、作句年代により解釈が変わるという・・・・俳句独特の「詠み手」と「読み手」の違いを楽しむというものか?。 |
【観清寺】埼玉県熊谷市 | ||
本堂と鐘楼の間(写真の垣根)に芭蕉句碑がある。11「雪といふ 物かあるそ 今年竹」(ゆきという ものがあるぞ ことしだけ)。「存疑」および「誤伝」の部に載っていない・・・・「不詳」? |
【常光院】埼玉県熊谷市 | ||
「常光院」は中条氏館跡(県指定文化財史跡)である。当院のホームページによると、「俳句の寺」と紹介されている。特に連句大会も開かれるほどで境内には「連句碑」が幾つも建てられている。 | ||
芭蕉句碑は、14「旅人と 我名よばれん 初しぐれ」(たびびとと わがなよばれん はつしぐれ)。「笈の小文」は芭蕉の死後、「川井乙州」によって「伊賀」への4度目の帰郷に際して創作された句集。本句は、亡父三十三回忌の法要に向かうため江戸深川「其角亭」での送別句会で詠まれた句。小画像は裏面、連句碑(表面)、同句部拡大。 |
【星宮公民館】埼玉県熊谷市 | ||
カメラがやっと入るほどの隙間を確保した芭蕉句碑、句碑表面は柵側で句碑の部分撮影のみ可能。15「物書いて 扇ひきさく 別れかな」(ものかきて おうぎひきさく なごりかな)、元禄2年8月15日、「奥の細道」旅中「永平寺の天龍寺」で、金沢から見送りに同行した北枝との別れの吟。同館で頂いた拓本。 |
【(上池守)天神社】埼玉県行田市 | ||
芭蕉句碑、16「名月や 池をめくりて 夜もすがら」(めいげつや いけをめぐりて よもすがら)。貞享3年8月十五夜、隅田川に舟を浮かべ月見の会を催した際に詠んだ句。 |
【大長寺】埼玉県行田市 | ||
山門横「大長寺大仏」の横に芭蕉句碑がある。17「古池や 蛙飛びこむ 水の音」(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)。貞享3年の作、芭蕉作品中最も多くの人口に膾炙(かいしゃ)した俳句中の俳句。「人口に膾炙する」とは、「人々の話題に上がってもてはやされ広く知れ渡る」こと。 |
【愛宕神社】群馬県千代田町 | ||
鳥居の左手に芭蕉句碑がある。19「涼しさや ほの三日月の 羽黒山」(すずしさや ほのみかづきの はぐろやま)、20「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)、 | ||
21「雲の峰 いくつくずれて 月の山」(くものみね いくつくずれて つきのやま)、元禄2年6月3-10日、「奥の細道」旅中「羽黒山」での作。「涼しさや」「雲の峯」「加多羅禮努」の3句を刻んだものを「三山句碑」という。此処に本句がある説明。→説明板 |
【白山神社】群馬県千代田町 | ||
「愛宕神社」と「白山神社」に行くため、再び利根川を渡る。 何処をどう走っているか、どちらが南なのか小雨交りの曇天ではさっぱり分からない。 |
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芭蕉句碑は、22「梅が香に のっと日の出る 山路かな」(うめがかに のっとひのでる やまじかな)。元禄7年の芭蕉最後の春、志太野坡(芭蕉十哲の一人)との両吟歌仙(二人で連句を掛け合う)の句で「炭俵」の冒頭を飾った名句。→説明板 |
【古江神社】埼玉県羽生市 | ||
芭蕉句碑は、23「春もやや けしきととのふ 月と梅」(はるもやや けしきととのう つきとうめ)。元禄6年春、画賛の句。 |
【蓑沢の薬師堂】埼玉県羽生市 | ||
芭蕉句碑は、24「古池や かわずとびこむ 水の音」(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)。貞享3年の作。薬師堂の右隣に幾つもの石碑がある。その中にさほど大きくもない玉石に刻まれた本句があった。 |
【古城天満宮】埼玉県羽生市 | ||
芭蕉句碑は、25「蓬莱に きかばや伊勢の 初便」(ほうらいに きかばやいせの はつだより)。元禄7年元旦、江戸での作。「蓬莱飾り」は、関西で新年の祝儀の飾り物の一つ。伊勢で詠む歳旦句の予定であったという。 |