芭蕉句碑;埼玉・茨城・栃木・福島撮り残し紀行 2016年4月15日(金)晴 |
氷川八幡神社;埼玉県鴻巣市 | ||
曽良句碑02、「蝶の飛はかり埜中の日かけかな」(ちょうのとぶ ばかりのなかの ひかげかな)、貞享2年「野ざらし紀行」で鳴海(東海道五十三次、40番目の宿場/名古屋)付近で詠まれた句。(句面;裏側)。→「蝶の飛ぶばかり野中の日影哉」・・・・日影は飛ぶ蝶の影。芭蕉の句中では、特に中七の「はかり埜中の」(ばかりのなかの)難解かつリズミカルに欠ける方だと思う。現代俳句は、これ以上に難解な句が多い・・・・難しければ傑作というわけじゃあるまいし? |
熊谷・鴻巣・加須周辺は土地勘のある場所のはずだった。独身~新婚時代、約10年住んでいた。しかし、40年も昔の事なので見覚えのある場所は皆無に近い。環境変化と忘却が進む中、そこに居たという事実のみが思い出として残っている。 | ||
勝願寺;埼玉県鴻巣市 | ||
山門裏の駐車場に入り、最初に見えた「幟」は・・・「大河ドラマ 真田丸 小松姫 ゆかりのまち鴻巣」というものだった。何で此処が・・・・?。確か、小松姫(幸村の兄嫁)の墓は芳泉寺(上田市)にあったような?、また信重・奥方(幸村の甥)の墓、仙石秀久(小諸城主)の墓があった。真田ゆかりの地であった。句碑撮影を終え車に戻ろうと随身門を抜けたが、句碑の隣りにあった3つの墓を撮影すべく戻った。 |
勝願寺;埼玉県鴻巣市 | ||
芭蕉句碑03、「けふはかり人も年よれ初時雨」(きょうばかり ひともとしよれ はつしぐれ)、元禄5年10月、赤坂彦根藩邸中屋敷で開かれた五吟歌仙での発句。 |
八幡神社;埼玉県加須市 | ||
八幡神社は田圃中にある遊園地(明願寺八幡宮)になっていた。 | ||
芭蕉句碑04、「名月廼花夜止見衣氏棉畠」/「名月の花かと見えて棉畠」(めいげつの はなかとみえて わたばたけ)、元禄7年、伊賀上野「無名庵」にて月見の宴を催した折りの句。(句碑縦写し)(句碑;拡大) | ||
それでもR125加須周辺に見覚えのある場所があるかと(特に妻が持参した家具を購入した家具屋さん)注視するも全くなかった。 |
千方神社;埼玉県加須市 | ||
市街地の一方通行路に囲まれた場所で、いつもはきちんと面倒を見てくれたナビに放り出され、路上駐車で一方通行路に徒歩で向かった。 | ||
芭蕉句碑06、「けふはかり人もとしよれ初時雨」(きょうばかり ひともとしよれ はつしぐれ)、元禄5年10月、赤坂彦根藩邸中屋敷で開かれた五吟歌仙での発句。 |
愛宕神社;埼玉県加須市 | ||
句碑を正面から撮影すると、後方の建物が気になるのは誰しも、私もやや左寄りで撮影も試みた。作為的すぎるので掲載は正面撮りのもの。(句面の拡大) | ||
芭蕉句碑07、「花さかり山は日ころの朝ほらけ」(はなざかり やまはひごろの あさぼらけ)、元禄元年春、「笈の小文」の折り、吉野での作。 |
沢観音寺;栃木県矢板市 | ||
芭蕉句碑09、「かさねとは八重なてしこの名なるへし」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)、元禄2年4月2-3日、「奥の細道」旅中「玉生~黒羽」での曽良の策。前回(3/18)は日出時、再撮影で立ち寄った。 |
かさね橋;栃木県矢板市 | ||
芭蕉句碑10、「かさねとは八重撫子の名なるべし」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)、元禄2年4月2-3日、「奥の細道」旅中「玉生~黒羽」での曽良の策。「かさね橋」は、那珂川水系の一級河川である「箒川」(ほうきがわ)に架かる橋。その箒川が矢板市と大田原市の境になっている。「かさね橋」の両端に鋳物製の句板(同版下)が埋め込まれている。(句面の拡大) |
かさね橋;栃木県大田原市 | ||
芭蕉句碑11、「かさねとは八重撫子の名なるべし」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)、元禄2年4月2-3日、「奥の細道」旅中「玉生~黒羽」での曽良の策。(句面の拡大) |
仙林寺;福島県伊達市 | ||
芭蕉句碑13、「もの云えば唇寒し秋の風」(ものいえば くちびるさむし あきのかぜ)、元禄年間の作。句碑は本堂左手前にある(句碑、判読不能)。今回の未知草は93km(総走行927km-417km×2)であった。日本酒の土産や文具等を購入し19時過ぎにチェックインした。 | ||