芭蕉句碑;埼玉・茨城・栃木・福島撮り残し紀行
2016年4月15日(金)晴
 どのような事由(存疑・誤伝等)であろうと、「奥の細道」に少しでもゆかりがある句碑なら撮影に行かねばならない。今回の目的は「西行の」(大垣/異説もあり)と「かさねとは」(かさね橋)ならびに再撮影の「かさねとは」(沢観音寺)である。よって、深谷-熊谷-鴻巣-加須(埼玉県)-矢板(栃木県)-保原(福島)という南下の未知草になる。
 15日未明(3時半)に出発すべく、早め入浴で床についた。妻から「熊本地震」の事を告げられカーラジオで状況を知りつつ走った。音声情報のみで映像情報がなくリアル感に欠けるが大変なことになっていることだけは伝わってきた。道の駅「おかべ」で持参した朝食を摂った。
   成塚路傍;埼玉県深谷市
 
 芭蕉句碑01「西行の草鞋もかゝれ松の露」(さいぎょうの わらじもかかれ まつのつゆ)、元禄2年9月、「奥の細道」旅中「大垣」での作(笈日記/貞享5年作との説もあり)。西行松の絵に賛を依頼されて詠んだ句。
 予定では、この後「報恩寺」(熊谷市)「物いへば唇さむし秋の風」と「石上寺」(熊谷市)「しばらくは花の上なる月夜哉」の撮影であった。いずれも訪ねるも、早朝ゆえ閉門(報恩寺の参詣は9時から)されていて参詣ならず。他所で同句の句碑を幾つも撮影していたので未練もなく先を急いだ。
 氷川八幡神社;埼玉県鴻巣市  

 
 曽良句碑02「蝶の飛はかり埜中の日かけかな」(ちょうのとぶ ばかりのなかの ひかげかな)、貞享2年「野ざらし紀行」で鳴海(東海道五十三次、40番目の宿場/名古屋)付近で詠まれた句。(句面;裏側)。→「蝶の飛ぶばかり野中の日影哉」・・・・日影は飛ぶ蝶の影。芭蕉の句中では、特に中七の「はかり埜中の」(ばかりのなかの)難解かつリズミカルに欠ける方だと思う。現代俳句は、これ以上に難解な句が多い・・・・難しければ傑作というわけじゃあるまいし?
 熊谷・鴻巣・加須周辺は土地勘のある場所のはずだった。独身~新婚時代、約10年住んでいた。しかし、40年も昔の事なので見覚えのある場所は皆無に近い。環境変化と忘却が進む中、そこに居たという事実のみが思い出として残っている。
   勝願寺;埼玉県鴻巣市
 
 山門裏の駐車場に入り、最初に見えた「幟」は・・・「大河ドラマ 真田丸 小松姫 ゆかりのまち鴻巣」というものだった。何で此処が・・・・?。確か、小松姫(幸村の兄嫁)の墓は芳泉寺(上田市)にあったような?、また信重・奥方(幸村の甥)の墓、仙石秀久(小諸城主)の墓があった。真田ゆかりの地であった。句碑撮影を終え車に戻ろうと随身門を抜けたが、句碑の隣りにあった3つの墓を撮影すべく戻った。
 勝願寺;埼玉県鴻巣市  
 
 芭蕉句碑03「けふはかり人も年よれ初時雨」(きょうばかり ひともとしよれ はつしぐれ)、元禄5年10月、赤坂彦根藩邸中屋敷で開かれた五吟歌仙での発句。
   八幡神社;埼玉県加須市
   八幡神社は田圃中にある遊園地(明願寺八幡宮)になっていた。
 
 芭蕉句碑04「名月廼花夜止見衣氏棉畠」/「名月の花かと見えて棉畠」(めいげつの はなかとみえて わたばたけ)、元禄7年、伊賀上野「無名庵」にて月見の宴を催した折りの句。(句碑縦写し)(句碑;拡大
 それでもR125加須周辺に見覚えのある場所があるかと(特に妻が持参した家具を購入した家具屋さん)注視するも全くなかった。
 総願寺;埼玉県加須市  

 
 芭蕉句碑05「曙ゆくや二十七夜も三日の月」(あけゆくや にじゅうしちやも みかのつき)、貞享3年秋の作。総願寺(不動岡不動尊)
   千方神社;埼玉県加須市
   市街地の一方通行路に囲まれた場所で、いつもはきちんと面倒を見てくれたナビに放り出され、路上駐車で一方通行路に徒歩で向かった。
 
 芭蕉句碑06「けふはかり人もとしよれ初時雨」(きょうばかり ひともとしよれ はつしぐれ)、元禄5年10月、赤坂彦根藩邸中屋敷で開かれた五吟歌仙での発句。
 愛宕神社;埼玉県加須市  
 句碑を正面から撮影すると、後方の建物が気になるのは誰しも、私もやや左寄りで撮影も試みた。作為的すぎるので掲載は正面撮りのもの。(句面の拡大  
 
 芭蕉句碑07「花さかり山は日ころの朝ほらけ」(はなざかり やまはひごろの あさぼらけ)、元禄元年春、「笈の小文」の折り、吉野での作。
   光了寺;茨城県古河市
   三島神社は、旧奥羽街道の「郡山宿-福原宿」(郡山)の中間地点の西外れに位置している。芭蕉・曽良が立ち寄っているかは別に、付近を通過している。
 
 芭蕉句碑08「以可めし幾音や阿られ農飛のき笠」/「いかめしき音や霰の檜木笠」(いかめしき おとやあられの ひのきがさ)、貞享3年、「野ざらし紀行」の途次」旅中での自画賛。貞享元年あるいは元禄2年ともあり。「光了寺」では貞享3年とあり。
 沢観音寺;栃木県矢板市  
 
 芭蕉句碑09「かさねとは八重なてしこの名なるへし」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)、元禄2年4月2-3日、「奥の細道」旅中「玉生~黒羽」での曽良の策。前回(3/18)は日出時、再撮影で立ち寄った。
   かさね橋;栃木県矢板市
 
 芭蕉句碑10「かさねとは八重撫子の名なるべし」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)、元禄2年4月2-3日、「奥の細道」旅中「玉生~黒羽」での曽良の策。「かさね橋」は、那珂川水系の一級河川である「箒川」(ほうきがわ)に架かる橋。その箒川が矢板市と大田原市の境になっている。「かさね橋」の両端に鋳物製の句板(同版下)が埋め込まれている。(句面の拡大
 かさね橋;栃木県大田原市  
 
 芭蕉句碑11「かさねとは八重撫子の名なるべし」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)、元禄2年4月2-3日、「奥の細道」旅中「玉生~黒羽」での曽良の策。(句面の拡大
   正八幡宮;福島県伊達市
 
 芭蕉句碑12「このあたり眼に見ゆるものみな涼し」(このあたり めにみえるもの みなすずし)、貞享5年仲夏の作。
 仙林寺;福島県伊達市  
 
 芭蕉句碑13「もの云えば唇寒し秋の風」(ものいえば くちびるさむし あきのかぜ)、元禄年間の作。句碑は本堂左手前にある(句碑、判読不能)。今回の未知草は93km(総走行927km-417km×2)であった。日本酒の土産や文具等を購入し19時過ぎにチェックインした。