芭蕉句碑;新潟・山形撮り残し紀行 2016年5月20日(金)晴 |
[日中の鼠ヶ関」が見たい。「湯殿山」に行って見たい。「高野一榮邸跡」を見落としていた。・・・・等々、新潟・山形路には“未練”がある。雪解けの5月には行こうと計画書は保留状態になっていた。 | ||
新潟県中越の夜明け | ||
予定より大分早く道の駅「豊栄」(とよさか)に着いた。3時10分だというのに朝食を摂り時間調整。 大画像は新発田市の駅前通り商店街、小画像は胎内市の国道7号通過時の日の出(4:26/Poto4:56)。 |
||
諏訪神社;新潟県新発田市 | ||
句碑01、「雲折々人を休むる月見哉」(くもおりおり ひとをやすめる つきみかな)、貞享2年の作。予定通り「寿昌寺」(じゅしょう)に行くも、夜明けを待つ駐車場が見つからず「諏訪神社」(3:55-4:26)を先にした。 |
寿昌寺;新潟県新発田市 | ||
句碑02、「松島や夏を衣裳の月と水」(まつしまや なつをころもの つきとみず)、存疑の部。 |
俳諧山/諏訪神社;新潟県胎内市 | ||
句碑03、「あかあかと日はつれなくも秋の風」(あかあかと ひはくれなくも あきのかぜ)、元禄2年7月15~23日、「奥の細道」旅中「金沢」での作。 |
菅田公会堂;新潟県胎内市 | ||
句碑04、「けふばかり人も年よれ初時雨」(めいげつの はなかとみえて わたばたけ)、元禄5年10月3日、赤坂彦根藩邸中屋敷で開かれた五吟歌仙での発句。菅田(すげた) |
乙宝寺;新潟県胎内市 | ||
真言宗智山派「乙宝寺」(おっぽうじ)は、新潟県屈指の古寺。大画像は「大日堂」(金堂)、小画像は「三重塔」であり、境内は広くゆっくり参拝したいお寺さんだ。芭蕉句碑は「観音堂」の石段際に建つ。スタートが順調で予定より1時間早い(5:20/6:20)、「湯殿山」に行けるかの判断は「予定に30分の余裕を生み出す」ことであり、何とか行けそうだ。 |
井筒屋;新潟県村上市 | ||
「井筒屋」は、芭蕉ゆかりの宿「“旅籠久左衛門跡」(二泊三日)。 | ||
「塩谷の街並み」は、北国街道浜通りの宿駅の他、湊町としても栄え村上藩の番所も置かれていた。特に見て回るということでなく通過時の車窓の眺めとして気にとめていた。 |
碁石海岸;新潟県村上市 | ||
「笹川流れ」も気になるが先を急ぐため寄り道をせず「碁石海岸」(羽越本線勝木駅周辺)を国道7号から見下ろせる場所で撮影した。 |
古代鼠ヶ関址;山形県鶴岡市 | ||
「古代鼠ヶ関址」は、羽越本線「鼠ヶ関駅」(海側/西側が乗車口の無人駅)から左手方向(新潟県境側)、徒歩数分の住宅街の一角に石柱(古代鼠ヶ関址・同関戸生産遺跡)のみが残る。関戸生産遺跡とは、発掘調査により「製鉄址」「土器製塩址」「須恵器平窯址」「千鳥走行型柵列址並建物址」が明らかになった |
念珠の松庭園(山形県の天然記念物);山形県鶴岡市 |
村上屋旅館の庭に「盆栽の松」(臥龍クロマツ)を地植えし手入れを続けた結果20mの立派な姿に成長した。(3枚のパノラマ撮影) |
近世念珠関址;山形県鶴岡市 | ||
平安時代には「奥羽三関」の一つとして知られ、江戸時代には「念珠関」と呼ばれ北国街道と羽州浜街道の境であった。小さな漁村集落の中に県境がある。 | ||
国道7号に面した「鼠ヶ関」(近世念珠関址)は「古代鼠ヶ関」が移転されたもの、事情や時期は不詳だが元和8年(1622年)以降に整備されたようだ。 |
弁天島(鼠ヶ関灯台);山形県鶴岡市 | ||
源義経が頼朝に追われ奥羽に逃れる際、弁天島に上陸されたと伝えられる。鼠ヶ関漁港の先端に突き出た弁天島、付根に厳島神社があり碑が建てられている。 | ||
「鼠ヶ関」の通過は3回目である。句碑がないことから、過去2回は夜明け前の通過であった。「日中の鼠ヶ関」を見たいということで休憩を兼ね30分強の時間をとった。 |
立岩;山形県鶴岡市 | ||
日本海に直立した高さ51mの奇岩は遠くからでも指呼できる。 この先に、夜明け前にLEDライトを照射する等の工夫を凝らした芭蕉句碑がある。国道7号沿いなので再撮影しないてはない。 |
立岩海底温泉;山形県鶴岡市 | ||
時刻は午前9時、日中に見る句碑の碑石色は大きく異なっていた。写真集の画像入替は当然必要になろう。 |
||
句碑11、「あつみ山や吹浦かけてゆふ凉み」(あつみやまや ふくうらかけて ゆうすずみ)、元禄2年6月18-25日、「奥の細道」旅中「象潟から酒田」での作。酒田に戻り門人達への挨拶吟。 |
旧朝日村立「大網開進小学校田麦分校」(廃校)と多層民家(旧遠藤家);山形県鶴岡市 | ||
「山形自動車道」の「湯殿山IC」を出た近くなのに標識を見落とし「月山IC」近くまで走ってしまった。「見覚えのある景色」を両方から眺めることに・・・・これまた「語られぬ」所以か? 道路標識は別だろうが! | ||
芭蕉句碑は、小学校の向かい、多層民家の後方高台の「田麦神社」にある。観光協会も知らなかった集落内の神社である。小学校は明治14年に開校し平成16年に閉校している。多層民家は兜屋根で内部が四層、土地の狭さと雪深い山地特有の建物。これらからも、田麦股地区は湯殿山信仰の宿場であったことが伺える。 |
田麦神社;山形県鶴岡市 | ||
句碑12、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)、元禄2年6月3~10日、「奥の細道」旅中「出羽三山」にて詠まれた句。 |
湯殿山神社(出羽三山奥の院);山形県鶴岡市 | ||
芭蕉・空良は6月7日に湯殿山に行っている。芭蕉は、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)。そして空良は、「湯殿山銭ふむ道の泪かな」(ゆどのさん ぜにふむみちの なみだかな)を詠んでいる。句碑は「撮影禁止」の参道にある。「語られぬ」との故、3枚の写真に留めておこう。 |
月山・弓張平からの眺め | ||
左が「湯殿山」、右が「姥ヶ岳」、「月山」は更に右手で手前の尾根で隠れて見えない。 |
「湯殿山から五色沼」(六十里越街道)へは冬季規制で通行止、一旦「月山花笠ライン」まで戻り「月山湖」から回り込む。 | ||
五色沼畔;山形県西川町 | ||
句碑13、「雲の峰幾つ崩れて月の山」(くものみね いくつくずれて つきのやま)、元禄2年6月3~10日、「奥の細道」旅中「出羽三山」にて詠まれた句。句碑の右後方に「姥ヶ岳」、その右手に「月山」が見える。「湯殿山」は句碑左手の建物で隠れている。 |
大井沢湯殿山神社;山形県西川町 | ||
明治元年「神仏分離令」により解体。かつては出羽三山湯殿山派別当4ヶ寺の一つで「金色山大日堂」として羽黒修験道の拠点として江戸時代に栄えた。今は下草が生い茂るも発掘記録なのか随所に立板表示が残る。 | ||
句碑14、「語られぬ湯殿にぬらす袂哉」(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)、元禄2年6月3~10日、「奥の細道」旅中「出羽三山」にて詠まれた句。 |
口之宮湯殿山神社;山形県西川町 | ||
大井沢湯殿山神社と同じく、出羽三山湯殿山派の別当4ヶ寺の一つで「月光山本道寺」であった。湯殿山に参拝した空海によって開基、「ここは、湯殿山大権現へと通ずる本道であると言い残され、4ヶ寺の正別当として「月光山光明院」と称されるようになった。「本道寺湯殿山神社」または「口之宮湯殿山神社」とも言われる。 | ||
「旧本道寺代参塔群の右端にある句碑15、「語られぬ湯殿にぬらす袂哉」(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)、元禄2年6月3~10日、「奥の細道」旅中「出羽三山」にて詠まれた句。→拡大(句碑、句面) |
移動中に「湯殿山」「姥ヶ岳」「月山」(左より)が一望出来る場所があり寒河江側の橋梁上から撮影 |
獅子ヶ口諏訪神社;山形県西川町 | ||
平成11年に移転、旧神社跡は下草で覆われていた。句碑16、「雲の峰幾つ崩れて月の山」(くものみね いくつくずれて つきのやま)、元禄2年6月3~10日、「奥の細道」旅中「出羽三山」にて詠まれた句。 | ||
この後、「月山の酒造資料館」(設楽酒造店/西川町)に寄り「銀嶺月山」「月山の月」を購入した。宮城に居た頃「槽前酒」を飲んだ記憶がある。 |
称念寺;山形県大江町 | ||
句碑17、「五月雨を集めて涼し最上川」(さみだれを あつめてすずし もがみがわ)、元禄2年5月28-29日、「奥の細道」旅中「大石田」にて詠まれた句。(短冊らしき縁取りに判読不能の句) |
寒河江八幡宮;山形県寒河江市 | ||
予定より30分早い15時半、日入時刻は18時49分、何とか予定したものは行けそうだ。 | ||
句碑18、「雲の峯いくつ崩れて月の山」(くものみね いくつくずれて つきのやま)、元禄2年6月3~10日、「奥の細道」旅中「出羽三山」にて詠まれた句。 |
高野一榮邸跡;山形県大石田町 | ||
文学碑、四吟歌仙「さみだれ」表六句、発句/芭蕉19「さみ堂礼遠あつめてすゞしもかミ川」(さみだれを あつめてすずし もがみがわ)、脇句/一榮20「岸にほたるを繋ぐ舟杭」(きしにほたるを つなぐふなぐい)、第三/空良21「瓜ばたけいざよふ空に影待ちて」(うりばたけ いざようそらに かげまちて)、第四/川水22「里をむかひに桑のほそミち」(さとをむかいに くわのほそみち)、第五/一榮「うしのこにこゝろなくさむゆふまくれ」(うしのこに こころなくさむ ゆうまくれ)、第六/芭蕉「水雲重しふところの吟」(すいうんおもし ふところのぎん)。元禄2年5月28-29日、「奥の細道」旅中「大石田」での歌仙。(文学碑;①右上/②左下/③説明板) |
斎藤本店焼麩工場;山形県東根市 | ||
句碑23、「眉はきをおもかげにして紅粉の花」(まゆはきを おもかげにして べにのはな)、元禄2年5月27-28日、「奥の細道」旅中「尾花沢/六田」にて詠まれた句。 |
六田宿;山形県東根市 | ||
文学碑24、「行末は誰肌ふれむ紅の花」(ゆくすえは たがはだふれむ べにのはな)、元禄2年5月27-28日、「奥の細道」旅中「尾花沢/六田」にて詠まれた句。 |
旧山寺街道;山形県天童市 | ||
句碑25、「眉はきを俤にして紅粉の花」(まゆはきを おもかげにして べにのはな)、元禄2年5月27-28日、「奥の細道」旅中「尾花沢/六田」にて詠まれた句。(説明板) | ||
旅の未知草(5/20)は、久し振りの長距離(700km)で宿に着いて入浴の前に布団の上で大の字で眠りこけた。総走行距離(1,144km)-正味往復距離(834km)=未知草距離(310km)。帰路、顧問先を出た際の予想到着時刻は「0:05」、実際の到着は「0:03」・・・・9時間の一般道路走行で誤差が何と-2分とは! |