今回の仙台出張は妻の予定と重なり、年老いた「みみ爺」(愛猫)に留守を頼むわけにいかず、旅の未知草は無しということで15日23時少し前に出て翌16日の午前中の営業会議と午後の役員会議で役目を果たし15時過ぎに帰路に着く。仙台南ICから西那須野塩原ICまで東北道を走り、矢板から日光・足尾経由の通常ルートで22時半に帰宅、一睡もしないで847kmを走破した。 |
そう言っておきながら、鞄の中に密かに「TG-4」を忍ばせていた。5時半過ぎに、「道祖神路道標」(名取市)に着いたので「句碑」面の確認と、芭蕉・曽良が断念した「笠島道祖神社・実方中将軍朝臣の墓」を再訪した。 |
【道祖神路の芭蕉句碑】宮城県名取市 |
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道祖神路道標(正面) |
左側の句碑面を撮影 |
句碑面を覗き撮る |
実は過去に何度も撮影しているが、句碑面の確認かつ撮影は何故か行っていなかった。句碑01「笠島はいづこ皐月のぬかり道」(かさじまは いづこさつきの ぬかりみち)、元禄2年5月4日「奥の細道」旅中「笠島」で詠まれた。いつか確認・撮影をしなきゃと思ってはいたが、時間的余裕がなく今回まで果たせていなかった。ほんの少しでいいから句碑面全体が見れるよう垣根の刈り込みをして欲しいと思った。「TG-4」で3枚の接写撮り、何とか2枚で雰囲気撮りが出来たかな。(4枚、それぞれ画像クリッリで拡大) |
芭蕉と曽良は、奥羽街道を「岩沼宿」-「増田宿」-「中田宿」-「仙台宿」と北上する。「岩沼宿」と「増田宿」の間「4:6」、岩沼寄りの旧奥羽街道の路傍に「道祖神路道標」がある。「道祖神路道標」の右・北面(仙台側)には「道祖神社や中将藤原実方の由来・建立の主旨や仙台城下への距離等、左・南面には「笠島はいづこ皐月のぬかり道
はせを」と刻まれている。 |
岩沼で「櫻より松は二木を三月越シ」と詠み、「道祖神路」の場所まで来て「笠島はいづこ皐月のぬかり道」と詠み、「ぬかり道」だからと仙台に向かわず岩沼泊・・・・これについて、「道を迷った」「名所にあらず」「演出」等々の説がある。私は、碑撮り旅を重ね芭蕉という人と成りについて(おぼろげなりに)描いてきた。芭蕉翁は、実方の墓参りをせずに仙台に向かったとなれば「笠島は」の句は何だったのか?・・・・芭蕉と人と成りを知れば「礼節」であることぐらい容易に分かる。脚色が多過ぎるという考えは「紀行書」と決めつけているからであろう。 |