碑撮り旅 ; 充実のリベンジ北陸路(第1日目) |
2016.07.28(木) 晴 |
色が浜「本隆寺」不覚のリベンジ、一年振りの北陸碑撮り旅・・・・家を出たのは午前1時少し前、市振着は3時44分、日の出には1時間以上もある。辺りは闇、撮影は不可能。道の駅「市振」まで行き時間調整兼朝食、越中境PAに4時12分、時間調整の休憩、5時を回ったところで撮影を始める。 |
||
【越中境PA下り】富山県朝日町 | ||
句碑01「一つ家に遊女も寝たり萩と月」(ひとつやに ゆうじょもねたり はぎとつき)、元禄2年7月12日、「奥の細道」旅中「市振の宿」にて詠んだ句。(解説) 小画像はヒスイ産地、「勾玉」モニュメント。 |
||
【越中境PA上り】富山県朝日町 | ||
句碑02「一つ家に遊女も寝たり萩と月」(ひとつやに ゆうじょもねたり はぎとつき)、元禄2年7月12日、「奥の細道」旅中「市振の宿」にて詠んだ句。 石碑の縦横以外全く同じ。 |
||
【市振宿】新潟県糸魚川市 | ||
富山県から一旦新潟県に戻り、静まり返った「市振宿」を車で流す。「海道の松」(上)と「市振の関跡」。 |
【長円寺】新潟県糸魚川市 | ||
句碑03「一つ家に遊女も寝たり萩と月」(ひとつやに ゆうじょもねたり はぎとつき)、元禄2年7月12日、「奥の細道」旅中「市振の宿」にて詠んだ句。夜明けといっても後方の日本海は明るい。今回も句面写らず。 |
さて、今回のリベンジ碑撮り旅。夏休みと重なるので交通渋滞が予想される。計画段階で「木ノ芽峠」を削除、そして走りながら「有磯海(女岩)をカットし余裕を大幅にとる。今回で35回目、初めての策だ。 | ||
【くろべ四十八ヶ瀬】富山県入善町 | ||
奥の細道「くろべ四十八ヶ瀬」文学碑が黒部川右岸、国道8号「黒部大橋」下流側200m付近に「明治天皇御野立所」があり、同所にある。(説明) |
【有磯海SA下り】富山県魚津市 | ||
「おくのほそ道の風景地」に指定されている「有磯海」は高岡市、「那古の浦」は射水市、そして「有磯海SA」は魚津市と滑川市、管轄自治体が全て異なるのは「奥の細道」故のことか・・・・。 | ||
句碑04「早稲の香やわけ入る右は有磯海」(わせのかや わけいるみぎは ありそうみ)、元禄2年7月13-14日、「奥の細道」旅中「那古の浦」にて詠んだ句。(説明) |
【有磯海SA上り】富山県滑川市 | ||
越中境PA同様、全く同じ・・・・盛土スタイルも含め工夫があっても良いと思う。 | ||
句碑05「早稲の香やわけ入る右は有磯海」(わせのかや わけいるみぎは ありそうみ)、元禄2年7月13-14日、「奥の細道」旅中「那古の浦」にて詠んだ句。石碑の形状以外全く同じ。(説明) |
計画していた「有磯海」は、立山連峰がクッキリ見える時期にしようとショートカットを決めた。その分、高速利用を取り止め一般道を走った。良かったのか悪かったのか、40分生れた余裕も5分遅れまで縮まってしまった。 | ||
【小矢部川SA下り】富山県小矢部市 | ||
句碑06「義仲の寝覚の山か月悲し」(よしなかの ねざめのやまか つきかなし)、元禄2年8月15日、「奥の細道」旅中「敦賀」にて詠んだ「芭蕉翁月一夜十五句」(其の七;燧が城)の句。(説明) | ||
サブの文学碑は、彫りものでないのか説明板より劣化が早い。内容的には無くてもいいのではと思う。 |
【小矢部川SA上り】富山県小矢部市 | ||
句碑07「あかあかと日はつれなくもあきの風」(あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ)、元禄2年8月15-23日、「奥の細道」旅中「金沢」にて詠んだ句。(説明) | ||
この句碑は、黒っぽい石に刻まれ白く着色されているが、背後が明るくハイコントラストになり何枚も撮影したが全面が霞んでしまう。句碑撮影初期であればPLフイルタも買ったと思う。(手持ちのPLフイルタは180mm用、レンズ毎には予算の関係で揃えられない) |
【倶利伽羅峠】富山県小矢部市 | ||
芭蕉は大の義仲ファン、遺言で義仲寺にある義仲の墓に並べて埋葬して欲しいとも。「芭蕉翁月一夜十五句(燧ケ城)」の句だが「義仲ゆかりの地」(句碑06でも説明があるため省略)ということで句碑があるので「義仲を偲ぶ芭蕉の気持ち」を受け“リベンジ編”で立ち寄った。 |
【倶利伽羅峠】富山県小矢部市 | ||
句碑08「義仲の寝覚の山か月悲し」(よしなかの ねざめのやまか つきかなし)、元禄2年8月15日、「奥の細道」旅中「敦賀」にて詠んだ「芭蕉翁月一夜十五句」(其の七;燧が城)の句。(説明) |
【倶利伽羅峠】富山県小矢部市 | ||
句碑09「義仲の寝覚の山か月悲し」(よしなかの ねざめのやまか つきかなし)、元禄2年8月15日、「奥の細道」旅中「敦賀」にて詠んだ「芭蕉翁月一夜十五句」(其の七;燧が城)の句。 |
【倶利伽羅峠】富山県小矢部市 | ||
句碑10「あかあかと日は難面もあきの風」(あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ)、元禄2年7月15-23日「奥の細道」旅中、「金沢」での作。(説明) |
【不動寺PA上り】石川県金沢市 | ||
句碑11「つかもうごけ我泣く声は秋の風」(つかもうごけ わがなくこえは あきのかぜ)、元禄2年7月15-23日「奥の細道」旅中、「金沢」での作。(説明)。北陸の梅雨明けは22日、関東甲信越は今日、太陽がギラギラ照り付け10時半でも汗だく、木の下闇に射し込む日の光と後方の明るさで今までで最高の58枚も撮った。 |
【宝泉寺/柳陰軒址】石川県金沢市 | ||
句碑12「ちる柳あるじも我も鐘を聞く」(ちるやなぎ あるじもわれも かねをきく)、元禄2年7月21日「奥の細道」旅中、「金沢」で加賀の蕉門「鶴屋句空」の草庵「柳陰軒」(宝泉寺境内)に一泊した際に詠んだ句(疑義の部)。(句部拡大) |
【尼御前SA上り】石川県加賀市 | ||
北陸路碑撮り旅、前回立ち寄った「篠原古戦場跡」(柴山町)の近くを通過・・・・全回同様に迷いぐるぐる回ってしまった。 だいたい「SA & PA」は人里離れた場所に造るので、「ふらっと・・・・」とうたうだけで業者車も大変な小路、入口は非常に分かり難い。 |
||
句碑14「庭掃いて出でばや寺に散る柳」(にわはいて いでばやてらに ちるやなぎ)、元禄2年8月6日「奥の細道」旅中、「加賀大聖持にある全昌寺」での作。(説明) |
【尼御前SA下り】石川県加賀市 | ||
句碑15「むざんやな兜の下のきりぎりす」(むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)、元禄2年7月24-26日「奥の細道」旅中、「小松」での作。(説明) | ||
尼御前SA下りは日本海の橋立漁港を見下ろす高台にある。「尼御前岬」は小画像右端のブッシュで見えません。義経一行が都落ちの際、足手まといになることを憂い、尼御前が海岸から身を投じたという伝説があり地名の由来とされたようです。 |
【大木戸門址】石川県加賀市 | ||
句碑16「今日よりや書付消さん笠の露」(きょうよりや かきつけけさん かさのつゆ)、元禄2年8月5-6日、「奥の細道」旅中「山中温泉」での作。 |
句碑17「漁り火に河鹿や波の下むせび」(いさりびに かじかやなみの したむせび)/道路側、句碑18「や万なかや菊はたおらじゆのにほい」(やまなかや きくはたおらじ ゆのにおい)、いずれも元禄2年7月27日-8月5日、「奥の細道」旅中「山中温泉」での作。 |
【泉屋の趾】石川県加賀市 | ||
山中温泉総湯菊の湯の向かいに石柱「泉屋の趾」があり句碑19「湯の名残今宵は肌の寒からむ」(ゆのなごり こよいははだの さむからん)、元禄2年8月5日「奥の細道」旅中、「山形温泉最後の日」、桃妖への別れの吟。(説明)と句碑20「旅人を迎に出ればほたるかな」(たびびとを むかえにでれば ほたるかな)(桃妖) |
【芭蕉の館】石川県加賀市 | ||
文学碑には、句碑21「ゆきゆきてたふれ伏すとも萩の原」(ゆきゆきて たおれふすとも はぎのはら)曽良、句碑22「今日よりや書き付け消さん笠の露」(きょうよりや かきつけけさん かさのつゆ)。元禄2年8月5-6日「奥の細道」旅中、「山中温泉での曽良との別れ」の一節・二句が刻まれている。(文学碑・右上・左下・説明) |
【桃の木公園】石川県加賀市 | ||
「芭蕉の館」、小路をはさんで駐車場があり、その奥が「桃の木公園」(桃妖)になっている。(説明) | ||
句碑23「桃の木のその葉散らすな秋の風」(もものきの そのはちらすな あきのかぜ)、句碑24「山人の昼寝をしばれ蔦かつら」(やまんとの ひるねをしばれ つたかつら)桃妖、元禄2年7月27日-8月5日「奥の細道」旅中、「山中温泉」にて詠まれた句。(説明) |
【かがり吉祥亭前】石川県加賀市 | ||
句碑25「湯の名残今宵は肌の寒からむ」(ゆのなごり こよいははだの さむからん)、元禄2年8月5日「奥の細道」旅中、「山形温泉最後の日」、桃妖への別れの吟。 |