碑撮り旅 ; 充実のリベンジ北陸路(第2日目) |
2016.07.29(金) 晴 |
【鶯の関碑】福井県南越前町 | ||
「奥の細道」(敦賀の津)「鴬の関を過て、湯尾峠を超れば、燧が城・帰山に初雁を聞て、十四日の夕ぐれつるがの津に宿をもとむ。」 |
【初音の小坂】福井県南越前町 | ||
句碑30「うぐいすの初音きかせししるべかな」(うぐいすの はつねきかせし しるべかな)、元禄2年「奥の細道」途次、「湯尾」にて詠んだと伝えられる。(不詳)。(説明) |
【湯尾峠】福井県南越前町 | ||
句碑31「月に名をつゝみ兼てやいもの神」(つきになを つつみかねてや いものかみ)、元禄2年8月15日、「奥の細道」旅中「敦賀での名月の晩」(湯尾峠)に詠んだ「芭蕉翁月一夜十五句」(其の六)の一つ。 |
【旧今庄役場】福井県南越前町 | ||
句碑32「義仲の寝覚の山か月悲し」(よしなかの ねさめのやまか つきかなし)、元禄2年8月15日、「奥の細道」旅中「敦賀での名月の晩」(燧が城)に詠んだ「芭蕉翁月一夜十五句」(其の七)の一つ。句碑の左後方ならびに小画像上が「燧が城跡」、小画像下は「文政の道しるべ碑」。 |
【板取宿廃墟】福井県南越前町 | ||
芭蕉は「文政の道しる」を右方向に曲がり「木の芽峠」を越え「敦賀」に向かっている。従って、「板取宿」は通っていない。同じ「廃墟」を見るなら「木の芽峠」だが、予定を変え「敦賀」への道を急いだ。 |
【けいの明神】福井県敦賀市 | ||
今秋にも「おくのほそ道の風景地」に「けいの明神」(気比神宮)が登録されるようだ。そこで、前回の碑撮り旅で未撮影の大画像「土公」(小画像上氣比之大神)と小画像下「砂持ち」の再撮影で立ち寄った。(説明) | ||
「奥の細道」(敦賀の津)・・・・あるじに酒すゝめられて、けいの明神に夜参す。仲哀天皇の御廟なり。社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる、おまへの白砂霜を敷るが如し。往昔遊行二世の上人、大願發起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ、泥濘をかわかせて、参詣往来の煩なし。古例今に絶えず。神前に真砂を荷ひ給ふ。これを「遊行の砂持と申侍る」と、亭主のかたりける。 |
【出雲屋跡】福井県敦賀市 | ||
「芭蕉翁逗留出雲屋跡」の標柱前ギリギリに駐車車両があり、「TG-4」で何とかツえいした。「10-24mm」も持参したが取り出すほどでもなかった。 |
【気比の松原】福井県敦賀市 | ||
「気比の松原」は「日本三大松原」の一つ、海水浴で一方通行かつ駐車禁止。井ノ口川の河口で海岸に下りた。 |
【本隆寺開山堂】福井県敦賀市 | ||
句碑33「寂しさや須磨にかちたる浜の秋」(さみしさや すまにかちたる はまのあき)、元禄2年8月16日、「奥の細道」旅中「敦賀」(種の浜)にて詠まれた句。(句碑、説明) |
【本隆寺】福井県敦賀市 | ||
一年前、無い無いと尋ねもせずに立去った「本隆寺」、「開山堂」から歩いても2分足らず。その「本隆寺の不覚」(唯一残った未撮影句碑)が、今回の旅立ちにつながった。 |
【水島】福井県敦賀市・・・・敦賀湾に浮かぶ無人島 | ||
【常宮神社】福井県敦賀市 | ||
句碑37「月清し遊行のもてる砂の上」(つききよし ゆぎょうのもてる すなのうえ)。元禄2年8月14日「奥の細道」旅中、「敦賀での名月の晩」(氣比の宮)に詠んだ「芭蕉翁月一夜十五句」(其の九)の一つ。 |
【孫兵衛茶屋】福井県敦賀市 | ||
芭蕉の弟子「柏木素龍」が清書し芭蕉が所持していたといわれる「おくのほそ道」底本「素龍清書本」(西村本)所蔵の西村家が経営されている「孫兵衛茶屋」に寄らせて頂いた。お蕎麦家さんなので10時を過ぎたばかり(予定は13時)であったが朝食兼昼食を食べた。茶屋入口左手に「芭蕉翁と西村家」という石柱があった。店内のガラスケースに「関連文書等」が陳列されていた。 |
ご自宅の庭園に芭蕉句碑があるというので撮影させて頂いた。句碑38「松風の落葉か水の音涼し」(まつかぜの おちばかみずの おとすずし)。画賛句、貞享元年の作か・・・・。 |