芭蕉句碑;奥が深い撮り残し紀行
2016年8月19日(金)晴
 心配していた台風7号は房総沖を通過し北海道に上陸した。通常なら台風一過で青空が広がるはず。ところが、温暖化で気象環境が大きく変化、巻き込む雨雲が次々に発達し雨は降り続いている。
   曽良の句碑;栃木県大田原市
   夜半の1時に家を出た。碓氷峠はガス、下るにつれ雨に、それも高崎に入ると雨も上がった。
 日塩トンネルを抜け日光に入ると本降りの雨、矢板の道の駅で時間調整と朝食、現着の大田原市では日の出で青空、撮影には問題なし、このところ移動中の雨も撮影に入ると決まって雨が止む。
 大田原市実取の路傍に・・・・句碑
01「かさねとは八重撫子の名なる可し」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)、「奥の細道」旅中「那須黒羽」で曽良の作。
 那須神社;栃木県大田原市  
 
 
 
 「八幡宮」(那須神社境内)は、「おくのほそ道の風景地」に指定されている。その「那須神社」は、「八島で扇の的を射抜いた「那須与一」で知られる。ここは、既に撮影済みである。早朝故、撮り直しにならず。
 芭蕉の道入口;栃木県大田原市  
 
 句碑02「行春や鳥啼き魚の目は泪」(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)、元禄2年3月27日、「奥の細道」千住旅立ち(矢立の初)での作。以前よりアジサイの刈り込みがされているようだ。
  芭蕉の道/黒門跡;栃木県大田原市
   句碑03「田や麦や中にも夏のほととぎす」(たやむぎや なかにもなつの ほととぎす)、元禄2年4月7日、「奥の細道」旅中「黒羽」の門人「秋鴉/しゅうあ」(浄法寺桃雪)を訪ねての挨拶吟。
 
 浄法寺桃雪邸跡;栃木県大田原市  
 句碑04「山も庭もうこき入るや夏座敷」(やまもにわも うごきいるるや なつざしき)、元禄2年4月4日、「奥の細道」旅中「黒羽」の門人「秋鴉/しゅうあ」(浄法寺桃雪)を訪ねての挨拶吟。(句碑  
 
庭園の句碑04に向かい合わせて連句碑がある。元禄2年4月4日、「奥の細道」旅中「黒羽」の「浄法寺桃雪」邸での歌仙。
 句
05「雨晴て栗の花咲跡見哉」(あめはれて くりのはなさく あとみかな)桃雪
 句
06「いづれの草に啼おつる蝉」(いずれのくさに なきおつるせみ)等躬
 句
07「夕食くふ賤が外図に月出て」(ゆうげくう しずがそともに つきいでて)芭蕉
 句
08「秋來にけりと布たぐる也」(あききにけりと ぬのたぐるなり)曽良
庭園にある二つの句碑を、どう撮ったらいいか描いての再撮影、朝も早く露出不足気味だったが満足できた。
   芭蕉の館;栃木県大田原市
 
 
 「芭蕉の館」には、「芭蕉と曽良像」(文学碑面)と「曽良の句碑」(文学碑面)がある。「芭蕉と曽良像」の後方にある文学碑には2つの句が刻まれている。句09「かさねとは八重撫子の名なるべし」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)/曽良の作、句碑10「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」(のをよこに うまひきむけよ ほととぎす)
 少し離れた所にある曽良の句、句碑11「かさねとは八重撫子の名なるべし」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)
 芭蕉の広場;栃木県大田原市  

 句碑
12「鶴鳴や其声に芭蕉やれぬべし」(つるなくや そのこえにばしょう やれぬべし)、「奥の細道」旅中「黒羽」での画賛句。
 
 
 「芭蕉の館」に来たのは3回目と記憶する。順路に沿って「芭蕉の道」→「芭蕉の広場」→「芭蕉の館」と進んでいたので今まで見落としていた。
 「芭蕉の広場」に専用入口に「文学碑」(碑文拡大)があった。

 句碑
13「夏山に足駄を拝む首途哉」(なつやまに あしだをおがむ かどでかな)、元禄2年4月9日、「奥の細道」旅中「黒羽」の「修験光明寺」に招かれ「行者堂」に安置されている「下駄」を拝み旅の無事を祈り詠んだ句。
 文学碑は、文字が小さく彫りも浅いので風化には耐えられなく句面が読めるのも歴史の長さから考えれば短い。反射して撮影もままならない貼りモノより良いが難しい問題だ。
 八坂神社;栃木市那須塩原市  
 
 句碑14「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」(のをよこに うまひきむけよ ほととぎす)、元禄2年4月2-3日、「奥の細道」旅中、那須野辺りで詠んだのだろうか(未特定)。ルートは異なるが、昨年4月に撮影したことを思い出し八坂神社前を通ったので立ち寄った。
 芭蕉翁塚;栃木県那須町
 「芭蕉二宿の地」(高久家跡)の隣りに「芭蕉翁塚」(杜鵑/ホトトギスの墓)がある。分かってはいたが未撮影だった。句碑15「落ちくるや高久の宿の郭公」(おちくるや たかくのしゅくの ほととぎす)句碑16「木の間をのぞく短夜の雨」(このまをのぞく みじかよのあめ)曽良の付合の句。元禄2年4月16日、「奥の細道」旅中「高久の庄屋覺左衛門」宅に二宿した折りの作。(句碑右面説明①説明②
 関山満願寺;福島県白河市
 ナビを2台装着していることは既報の通り、地点設定時(滞在時間20分)には双方とも問題なく設定できた。
 高久で「関山満願寺」のナビ設定すると、純正の古いナビは問題なくリクエストに応えた。ところが市販の新しいナビは「道が通じていません」と拒否されてしまった。

 「関山満願寺」(せきさん)に到着すると「何か変?」・・・・。
 「関山登り口」に曽良の句碑があった。句碑17「卯の花をかざしに関の晴着哉」(うのはなを かざしにせきの はれぎかな)、元禄2年4月21日、「奥の細道」旅中「白川の関」で曽良の作。
 ナビが拒否した状況が理解出来たのは、参道を抜け山懐に入って間もなく「駐車場」なるものがあり、そこから「関山」(標高619m)の山頂まで急峻な登山道を登らなけりゃならないということだ・・・・。
 
 
 「関山」は、「うつくしま百名山」の一つ、タウンシューズで雨上がり、ロープ張りの急峻な登山道を37分かけ山頂の「満願寺」に着いた。満願寺裏手の展望台から「登り口」を見下ろす。(小画像、クリックで拡大)
 「おくのほそ道」(関山)の文学碑があった。「白河の関跡」が分らず、そこを通り過ぎて間もなく芭蕉と曽良は「関山登山」をしたのだろうか・・・・。

 句碑18「関守の宿を水鶏に問はうもの」(せきもりの やどをくいなに とおうもの)句碑19「卯の花をかざしに関の晴着かな」(うのはなを かざしにせきの はれぎかな)曽良、元禄2年4月、「奥の細道」旅中「須賀川」での作。(句碑碑面全体句部拡大

 句碑、
「奥の花や四月に咲を関の山」(おくのはなや しがつにさくを せきのやま)桃隣の作。
 
 関山満願寺の滞在予定は20分、勿論それで済む訳がない。実際は1時間20分、1時間のオーバーだがタイムスケジュールに対しては20分も余裕がある。それだけ先行(余裕とり)しての碑撮り旅だ。
   乙字ヶ滝;福島県玉川村
   「関山満願寺」の次は「阿武隈PA(下)」であるが、上りPA(従業員専用)には迷いながらも辿り着いた。肝心の下りPAは30分も探すも分からずパス、タイムスケジュール通りになった。
 
 句碑20「五月雨は滝降り埋むみかさ哉」(さみだれは たきふりうずむ みかさかな)、元禄2年4月27日、「奥の細道」旅中「須賀川」での作。「乙字ヶ滝」は阿武隈川の断層で生じた滝、「みかさ」とは「水嵩」→「水かさ/水量」のこと。
 かげ沼公園;福島県鏡石町  
 「かげ沼と云所を行に、今日は空曇て物影うつらず」(須賀川の章段)。  
 
 「かげ沼」は特定の沼の呼び名ではなく、かつて、矢吹から須賀川にかけて湿地が続き、辺り一帯を「かげ沼」と呼んでいたようだ。そして、この地は一種の蜃気楼現象が現れ、道行く人が水中を歩く如く見ゆることで有名であった。この蜃気楼現象は「逃げ水」と呼ばれ、陸上の蜃気楼の一種(下位蜃気楼)で、遠くに水があるように見え、近づくとまたその先の方に遠退いて見える。地表付近の空気が熱せられ膨張することで、部分的に屈折率が変り一種のプリズムとなり上方の景色があたかも映ったように見える。別名「地鏡」とも呼ばれ夏の風物詩の一つ。
   芹沢の滝;福島県須賀川市
 
 「芹沢の滝」の説明。栃木・福島と「旅の未知草」をし、時刻も正午を回ったばかり、予定より30分ほど早いが「須賀川IC」で高速に乗り「国見IC」へと先を急ぐ。
 吾妻PA(下);福島県福島市  
 「吾妻PA」は、東北自動車道の「福島西IC」と「福島飯坂IC」の間にある。飯坂温泉にも近いということで芭蕉の句碑が建てられている。予定にはなかったが、高速に乗ったついでに立ち寄ってみた。

 句碑
21「笈も太刀も五月に飾れ紙幟」(おいもたちも さつきにかざれ かみのぼり)、元禄2年5月2日、「奥の細道」旅中「飯坂の鯖野」にある「佐藤庄司旧館跡」を尋ね、近くの古寺(菩提寺の医王寺)で墓参りをして詠んだ句。
 
 益岡公園(白石城);宮城県白石市  

 句碑
22「かげろふの我肩にたつ紙衣哉」(かげろうの わがかたにたつ かみこかな)、元禄2年2月7日、大垣の木因門下の俳人「とう山」が泊まっている旅籠で開かれた曽良や此筋等を交えた七吟歌仙での発句。
 
 雄島;宮城県松島町    
 「松島」は冬季の夜行高速バスで日の出を待っての撮影、その後に顧問先へという限られた時間内での撮影、日中での撮影をしようと「岩沼ICから利府塩釜IC」まで高速利用で15時過ぎに着いた。
芭蕉句碑 曽良句碑 芭蕉翁松島吟並序碑
 句碑23「あさよさを誰まつしまぞ片ごゝろ」(あさよさを たがまつしまぞ かたごころ)、元禄元年の作。
 句碑24「松島や鶴に身をかれほとゝぎす」(まつしまや つるにみをかれ ほととぎす)、元禄2年5月9-10日、「奥の細道」旅中「松島」での曽良の作。
 句碑25「あさよさを誰まつしまぞ片ごゝろ」(あさよさを たがまつしまぞ かたごころ)「芭蕉翁松島吟並序碑」(おくのほそ道松島の章段文学碑)。
 「再撮影記」と割り切り、惰性とは言わないまでも出張ついでと思っていた。しかし、「奥の細道」は、奥が深いと改めて思い知った。早や夕食として、塩釜マリンパークで海鮮丼を食べた。今回の未知草は「145km」(総走行995km-復路425kmx2)だった。