芭蕉句碑;奥が深い撮り残し紀行 2016年8月19日(金)晴 |
那須神社;栃木県大田原市 | ||
「八幡宮」(那須神社境内)は、「おくのほそ道の風景地」に指定されている。その「那須神社」は、「八島で扇の的を射抜いた「那須与一」で知られる。ここは、既に撮影済みである。早朝故、撮り直しにならず。 |
芭蕉の道入口;栃木県大田原市 | ||
句碑02、「行春や鳥啼き魚の目は泪」(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)、元禄2年3月27日、「奥の細道」千住旅立ち(矢立の初)での作。以前よりアジサイの刈り込みがされているようだ。 |
芭蕉の道/黒門跡;栃木県大田原市 | ||
句碑03、「田や麦や中にも夏のほととぎす」(たやむぎや なかにもなつの ほととぎす)、元禄2年4月7日、「奥の細道」旅中「黒羽」の門人「秋鴉/しゅうあ」(浄法寺桃雪)を訪ねての挨拶吟。 | ||
浄法寺桃雪邸跡;栃木県大田原市 | ||
句碑04、「山も庭もうこき入るや夏座敷」(やまもにわも うごきいるるや なつざしき)、元禄2年4月4日、「奥の細道」旅中「黒羽」の門人「秋鴉/しゅうあ」(浄法寺桃雪)を訪ねての挨拶吟。(句碑) | ||
庭園の句碑04に向かい合わせて連句碑がある。元禄2年4月4日、「奥の細道」旅中「黒羽」の「浄法寺桃雪」邸での歌仙。 句05「雨晴て栗の花咲跡見哉」(あめはれて くりのはなさく あとみかな)桃雪 句06「いづれの草に啼おつる蝉」(いずれのくさに なきおつるせみ)等躬 句07「夕食くふ賤が外図に月出て」(ゆうげくう しずがそともに つきいでて)芭蕉 句08「秋來にけりと布たぐる也」(あききにけりと ぬのたぐるなり)曽良 庭園にある二つの句碑を、どう撮ったらいいか描いての再撮影、朝も早く露出不足気味だったが満足できた。 |
芭蕉の館;栃木県大田原市 | ||
「芭蕉の館」には、「芭蕉と曽良像」(文学碑面)と「曽良の句碑」(文学碑面)がある。「芭蕉と曽良像」の後方にある文学碑には2つの句が刻まれている。句09、「かさねとは八重撫子の名なるべし」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)/曽良の作、句碑10、「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」(のをよこに うまひきむけよ ほととぎす)。 | ||
少し離れた所にある曽良の句、句碑11、「かさねとは八重撫子の名なるべし」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)。 |
「芭蕉の館」に来たのは3回目と記憶する。順路に沿って「芭蕉の道」→「芭蕉の広場」→「芭蕉の館」と進んでいたので今まで見落としていた。 「芭蕉の広場」に専用入口に「文学碑」(碑文拡大)があった。 句碑13、「夏山に足駄を拝む首途哉」(なつやまに あしだをおがむ かどでかな)、元禄2年4月9日、「奥の細道」旅中「黒羽」の「修験光明寺」に招かれ「行者堂」に安置されている「下駄」を拝み旅の無事を祈り詠んだ句。 |
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文学碑は、文字が小さく彫りも浅いので風化には耐えられなく句面が読めるのも歴史の長さから考えれば短い。反射して撮影もままならない貼りモノより良いが難しい問題だ。 |
八坂神社;栃木市那須塩原市 | ||
句碑14、「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」(のをよこに うまひきむけよ ほととぎす)、元禄2年4月2-3日、「奥の細道」旅中、那須野辺りで詠んだのだろうか(未特定)。ルートは異なるが、昨年4月に撮影したことを思い出し八坂神社前を通ったので立ち寄った。 |
芭蕉翁塚;栃木県那須町 | ||
「芭蕉二宿の地」(高久家跡)の隣りに「芭蕉翁塚」(杜鵑/ホトトギスの墓)がある。分かってはいたが未撮影だった。句碑15、「落ちくるや高久の宿の郭公」(おちくるや たかくのしゅくの ほととぎす)、句碑16、「木の間をのぞく短夜の雨」(このまをのぞく みじかよのあめ)曽良の付合の句。元禄2年4月16日、「奥の細道」旅中「高久の庄屋覺左衛門」宅に二宿した折りの作。(句碑右面、説明①、説明②) |
ナビが拒否した状況が理解出来たのは、参道を抜け山懐に入って間もなく「駐車場」なるものがあり、そこから「関山」(標高619m)の山頂まで急峻な登山道を登らなけりゃならないということだ・・・・。 | ||
「関山」は、「うつくしま百名山」の一つ、タウンシューズで雨上がり、ロープ張りの急峻な登山道を37分かけ山頂の「満願寺」に着いた。満願寺裏手の展望台から「登り口」を見下ろす。(小画像、クリックで拡大) |
「おくのほそ道」(関山)の文学碑があった。「白河の関跡」が分らず、そこを通り過ぎて間もなく芭蕉と曽良は「関山登山」をしたのだろうか・・・・。 句碑18、「関守の宿を水鶏に問はうもの」(せきもりの やどをくいなに とおうもの)、句碑19、「卯の花をかざしに関の晴着かな」(うのはなを かざしにせきの はれぎかな)曽良、元禄2年4月、「奥の細道」旅中「須賀川」での作。(句碑、碑面全体、句部拡大) 句碑、「奥の花や四月に咲を関の山」(おくのはなや しがつにさくを せきのやま)桃隣の作。 |
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関山満願寺の滞在予定は20分、勿論それで済む訳がない。実際は1時間20分、1時間のオーバーだがタイムスケジュールに対しては20分も余裕がある。それだけ先行(余裕とり)しての碑撮り旅だ。 |
かげ沼公園;福島県鏡石町 | ||
「かげ沼と云所を行に、今日は空曇て物影うつらず」(須賀川の章段)。 | ||
「かげ沼」は特定の沼の呼び名ではなく、かつて、矢吹から須賀川にかけて湿地が続き、辺り一帯を「かげ沼」と呼んでいたようだ。そして、この地は一種の蜃気楼現象が現れ、道行く人が水中を歩く如く見ゆることで有名であった。この蜃気楼現象は「逃げ水」と呼ばれ、陸上の蜃気楼の一種(下位蜃気楼)で、遠くに水があるように見え、近づくとまたその先の方に遠退いて見える。地表付近の空気が熱せられ膨張することで、部分的に屈折率が変り一種のプリズムとなり上方の景色があたかも映ったように見える。別名「地鏡」とも呼ばれ夏の風物詩の一つ。 |
芹沢の滝;福島県須賀川市 | ||
「芹沢の滝」の説明。栃木・福島と「旅の未知草」をし、時刻も正午を回ったばかり、予定より30分ほど早いが「須賀川IC」で高速に乗り「国見IC」へと先を急ぐ。 |
益岡公園(白石城);宮城県白石市 | ||
句碑22、「かげろふの我肩にたつ紙衣哉」(かげろうの わがかたにたつ かみこかな)、元禄2年2月7日、大垣の木因門下の俳人「とう山」が泊まっている旅籠で開かれた曽良や此筋等を交えた七吟歌仙での発句。 |
雄島;宮城県松島町 | ||
「松島」は冬季の夜行高速バスで日の出を待っての撮影、その後に顧問先へという限られた時間内での撮影、日中での撮影をしようと「岩沼ICから利府塩釜IC」まで高速利用で15時過ぎに着いた。 |