-草枕旅の未知草石背国万葉歌碑を指折り読みし
石背国 歌碑に聞く令和の足音
2019.04.19(金) 晴
 新元号が四月朔日に発表された。万葉集の「梅の花の歌三十二首并せて序」、「初春の令月にして気淑く風和ぎ梅は鏡前の粉を披き蘭は珮後の香を薫す」より引用し「令和」とする。新元号ゆかりの地「大宰府展示館」は一週間で、来館者か10,000人を超えたという。それまでは、一日で40人がいいところ・・・・「万葉集ブーム」は東北にも波及するだろうかと不安な「碑撮り旅」になった。
 【白河小峰城跡】 福島県白河市
 日出は4:56、ポツポツ小雨が落ちてくる中4:36到着、当然撮影不可、朝食を摂り時間調整、5:00から小峰城跡を右回りで一周、桜が満開、日出写真に代わり大満足のスタートが切れた。「春雨じゃ濡れて行こう」と問題なし。
 【白河第一小学校】 福島県白河市
  銀も金も玉も何せむに
 まされる宝子にしかめやも
  しろかねも くがねみたまも なにせむに
 まされるたから こにしかめやも
  銀母 金母玉母 奈尓世武尓
 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
  万葉集;巻05-0803 山上憶良
  銀も金も宝石もどれほどのことがあろうか。どんな宝も子供には遠く及びはしない。
詠吟
 昭和51年度卒業生保護者一同が子供たちの卒業にあたり学校へ贈ったもの、碑陰には当時の校長深谷健の歌「あ子のこと思い想いていくたびかこの坂道をかよいつるかな」と文が自筆で彫られている。歌碑拡大歌碑背面
 歌碑(左上)は、校門を入り右手植込にある。右上は校門前の道路で桜が綺麗に咲いていた。
子を想う親心かな眼に入れてまされる宝子にしかめやも
 本歌の「下敷き」は、2句以内とするのがルールのようです。第4・第5句を「本歌取り」で詠んでみました。
 【翠ヶ丘公園】 福島県須賀川市
 「翠ヶ丘公園」は、芭蕉句碑の撮影で立ち寄った「十念寺」近く、「須賀川博物館」がある公園だ。ここには「万葉歌碑」が60基ある。「公園の歌碑マップ」を印刷し、効率的な撮影順路を決めた。序でにデパイダで歌碑間の概算距離を計算してみると「合計3,409m」。余裕をみて約4,000m1時間コース、撮影時間を加え1時間30分。
 「南館駐車場」に車を止め北側、そして南側と読み歩いた。小雨で手持ちの地図が濡れ、チェックマークも滲み、何処が何処か、挙句の果てに迷い、予定「
7:10-8:40」(1:30)に対し、「6:31-9:48」(3:17)、疲労骨折かと思うほどに足が痛む。探し当てた歌碑は「50/60基」(83%)。→Google map;「翠ヶ丘公園」(南館駐車場)
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さればまづさきくさのくあらば 君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる
 にもはむなそ我  駐車場から石段を上る。右手に「春されば・・・・」の歌碑が、上り切ると芝生広場があり、2本の櫻の大木が・・・・。  黄楊の小櫛も取らむとも思うはず
はるされば まづさきくさの さきくあらば
 のちにもあはむ こひそわぎも
きみなくは なぞみよそはむ くしげなる
 つげのおぐしも とらむともおもはず
万葉集;巻10-1895 柿本人麿 万葉集;巻09-1777 播磨娘子
春が来ればまず真っ先に咲く三枝(ミツマタ)のように幸いならばまた逢えるだろう。そんなに恋焦がれないでくれ わが愛しい人よ。 あなたがいないなら、どうして身を装う気になれましょう。お化粧箱から黄楊(ツゲ)の小櫛を取り出そうとも思いません。
春の野にすみれ摘みにと來し我ぞ あしひきの山桜花日並べて
 野をなつかしみ一夜寝にける  隣りの「須賀川博物館」(歴史民俗資料館)に行くには、この太鼓橋を渡らなければならない。  かく咲きたらばいたく恋ひめやも
はるののに すみれつみにと こしわれぞ
 のをなつかしみ ひとよねにける
あしひきの やまざくらはな ひならべて
 かくさきたらば いたくこひめやも
万葉集;巻08-1424 山部赤人 万葉集;巻08-1425 山部赤人
春の野にすみれ(スミレ)を摘もうとやって来たが、野の美しさに心惹かれ一晩過ごしてしまったよ。 もしも山桜(サクラ)が何日も咲いているのだったら、こんなに恋しいとは思わないでしょうに。すぐに散ってしまうからこそ、こんなに恋しいのだ。
我れのみやかく恋すらむかきつはた み薦刈る信濃の真弓
 丹つらふ妹はいかにかあるらむ  我が引かば貴人さびていなと言はむかも
われのみや かくこひすらむ かきつはた
 こつらふいもは いかにかあるらむ
みこもかる しなののまゆみ わがひかば
 うまひとさびて いなといはむかも
万葉集;巻10-1986 未詳 万葉集;巻02-0096 久米禅師
私ばかりこんなに恋しているのでしょうか。杜若(カキツバタ)のように美しい面立ちの妹は、どんな気持ちなのでしょう。 信濃の檀(マユミ)で作った弓の弦を引くように、私があなたの袖を引いたなら、貴人ぶって、嫌だとおっしゃるでしょうかね。
 「あやめの里」エリア(中央上)は「愛の鐘」(アイリーン)・・・・愛する人と二人で願い事を3つを思い浮かべ鐘をならすとか・・・・欲張り! 同下は「花の香りが」の像。
ぬばたまの妹が黒髪今夜もか 五月雨耳飛泉婦梨う川む水可佐哉
 我がなき床に靡けて眠らむ さみだれは たきふりうずむ みかさかな
ぬばたまの いもがくろかみ こよひもか
 あがなきとこに なびけてぬらむ
「おくのほそ道」(須賀川)、元禄2年4月27日、須賀川滞在中に松尾芭蕉が詠んだ句。「乙字ヶ滝」(阿武隈川本流)に建立された古碑、大雨の増水で流され、地元人が拾い挙げ自宅に移設したもの、後に須賀川博物館に寄贈。
万葉集;巻11-2564 未詳
今夜も妻はその美しい黒髪を、私がいない床になびかせながら寝ているのだなあ。ぬばたま(ヒオウギ)
 中央上は「須賀川市立博物館」、下は道路から玄関までの櫻並木です。ここへは、芭蕉句碑の撮影で、かれこれ3度目になろうか。
夏の野の茂みに咲ける姫百合の 巨勢山のつらつら椿つらつらに
 知らえぬ恋は苦しきものぞ  見つつ偲はな巨勢の春のを
なつのよの しげみにさける ひめゆりの
 しらえぬこいは くるしきものぞ
こせやまの つらつらつばき つらつらに
 みつつしのはな こせのはるのを
万葉集;巻08-1500 大伴坂上郎女 万葉集;巻01-0054 坂門人足
夏の野の茂みに咲いている姫百合(ヒメユリ)が誰にも知られないように、相手に知られていない私の恋は苦しく切ないものです。 巨勢山の列なり咲いているたくさんの椿(ツバキ)、よくよく見ながら楽しみましょうよ。椿満開の巨勢の春の野を。
 中央下、桜並木は博物館と公園の間にある自転車・歩行の専用一般路、通学らしき自転車が追い越して行った。
春日野に煙立つみゆ娘子らし 忘れ草我が紐に付く時となく
 春野のうはぎ摘みて煮らしも  思ひわたれば生けりともなし
かすがのに けぶりたつみゆ をとめらし
 はるののうはぎ つみてこらしも
わすれくさ わがひもにつく ときとなく
 おもひわたれば いけりともなし
万葉集;巻10-1879 未詳 万葉集;巻12-3060 未詳
春日野にすっと立ち昇る煙が見える。春の野遊びに娘たちがうはぎ(ヨメナ)を摘んで、煮ている煙だろうよ。 忘れ草(ワスレナグサ)を私の衣の紐に結び付けてます。いつもあの人のことを思っているので、とても心が苦しいです。
我がやどの穂蓼古幹摘み生し 高円の野辺のかほ花面影に
 実になるまでに君をし待たむ  見えつつ妹は忘れかねつも
わがやどの ほたでふるから つみおほし
 みになるまでに きみをしまたむ
たかまとの のへのかほばな おもかげに
 みえつついもは わすれかねつも
万葉集;巻11-2758 東歌 万葉集;巻08-1630 大伴家持
我が家の庭の摘み取った穂蓼(タデ)の古株から出たわき芽を育てて。それが実を結ぶようになるまで私はずっとあなたを待ちます。 高円の野辺にかほ花(ヒルガオ)が美しく咲いているので、その花を見ていると、あなたの俤が偲ばれ、忘れられません。
 地図片手に順調に撮り廻ってきた。この歌碑を撮り終え、次なるものが見当たらない。そして、中央の画像は「わんぱく広場」、大分飛ばしている・・・・迷ったと気付いた途端に方向音痴になってしまった。
初春の初子の今日の玉箒 我が園に梅の花散るひさかたの 赤駒のい行きはばかる真葛原
 手に取るからに揺らく玉の緒  天より雪の流れ來るかも  何の伝て言直にしよけむ
はつはるの はつねのけふの たまははき
 てにとるからに ゆらくたまのほ
はるされば まづさきくさの さきくあらば
 のちにもあはむ こひそわぎも
あかごまの いゆきはばかる まくずはら
 なにのつてごと ただにしよけむ
万葉集;巻20-4493 大伴家持 万葉集;巻05-0822 大伴旅人 万葉集;巻13-3069 未詳
初春の初音の今日、玉箒を(コウヤホウキ)を手に取ると、玉が揺れて音をたてます。 我が家の庭に梅(ウメ)の花が散っている。いやこれは、大空から雪が降り流れてくるのであろうかなあ。(梅の花の歌三十二首 赤駒が歩きにくい葛(クズ)原を行くように、どうして人に頼んで伝えるのでしょう。直接あなたが来てくれたらよいのに。
平成の桜散りゆく令和へと万葉の歌碑歳ほど読みし
 ことし平成参拾壱とせにや、五月の朔日より令和元年とあれば、四月後半に満開を迎える桜が散り終えるのは五月となるにや。そんな旅先で万葉歌碑を歳(七拾壱)ほど読み歩く。
高円の野辺の秋萩いたづらに 須賀川の三俳人句碑 味酒を三輪の祝がいはふ杉
 咲きか散るたむ見る人なしに 等躬(相楽等躬)
 今以てその八重垣を牡丹哉
晋流(藤井晋流;等躬の後継者)
 芥子の花紙布織る里の澪標
桃祖(二階堂桃祖;晋流の門人)
 すらすらと白雲とおる若葉かな
 手触れし罪か君に逢ひかたき
たかまとの のべのあきはぎ いたづらに
 さきかちるたむ みるひとなしに
うまさけを みわのはふりが いはふ杉
 てふれしつみか きみにあひかたき
万葉集;巻02-0231 笠金村 万葉集;巻04-0712 丹波大女娘女
高円の野辺の秋萩(ハギ)は、むなしく咲いては散っていることだろうか。花を見て賞でられる皇子さまも、もういらっしゃらなくて。 三輪の祝たちが大切に斎きまつっている杉(スギ)に手を触れた罪なのでしょうか。君に逢うことがむずかしいのは。
早来ても見てましものを山背の 人皆は萩を秋と言ふよし我れは 君に恋ひいたもすべなみ奈良山の
 多賀の槻群散りにけるかも  尾花が末を秋とは言はむ  小松が下に立ち嘆くかも
はやきても みてましものを やましろの
 たかのつきむら ちりにけるかも
ひとみなは はぎをあきといふ よしわれは
 おばながうれを あきとはいはむ
きみにこひ いたもすべなみ ならやまの
 こまつがもとに たちなげくかも
万葉集;巻03-0277 高市連黒人 万葉集;巻10-2110 未詳 万葉集;巻04-0593 笠女郎
早く来て見ればよかった。山城の多賀のけやき(ケヤキ)の葉はもう散ってしまったことです。 世間の人は皆、萩こそが秋を告げる花と言う。よしそれならば、私は尾花(ススキ)の穂先だって秋らしいのだと言おう。 あなたを恋い慕っているものの、全くどうしようもないので、奈良山の松(マツ)の下に立って嘆きながら待っているのです。
 翠ヶ丘公園内で「疲労困憊」、やや右足を引きずり「疲労骨折」かと気に病む。先程通過した「東屋」・・・・ずっと「読書」をしている同輩の男性、あくせく走り回る「某」を眼鏡の上縁越しに怪訝そうな顔つきで見遣る。
石走る垂水の上のさわらびの 橘の蔭踏む道の八街に
 萌え出づる春になのにけるかも  物をぞ思ふ妹に逢はずして
いはばしる たるみのうへの さわらびの
 もえいづるはるに なりにけるかも
たちばなの かげふむみちの やちまたに
 ものをぞおもふ いもにあはずして
万葉集;巻08-1418 志貴皇子 万葉集;巻02-0125 三方沙弥
岩の上をほとばしる滝の上の蕨(ワラビ)が萌え出でる春になったことだなあ。 橘(タチバナ)の木蔭を踏んで行く道が八方に分れているように、どうしたらいいのかと思い乱れている。おまえに逢うことができずに。
 中央の画像は「新池」(翠月橋)付近であろうか・・・・手持ちの園内案内図は小雨で濡れ滲みがすごく分かり難い、そうでなくても「イラストマップ」ゆえ距離感にいい加減なところがある。かなり下準備をした割には現状との照合難で頭が真っ白・・・・何分経過したか分からない。→編集過程でチェック、到着時刻6:31、橋の撮影時刻8:23、全1:30の予定に対し20分の超過、撮影歌碑50基中の22基目である。
あかねさす紫野行き標野行き 君がため浮沼の池の菱摘むと 紫草のにほへる妹を憎くあらば
 野守は見ずや君が袖降る  我が染めし袖濡れにけるかも  人妻ゆゑに我れ恋ひめやも
あかねさす むらさきのゆき しめのゆき
 のもりはみずや きみがそでふる
きみがため うきぬのいけの ひしつむと
 わがそめしそで ぬれにけるかも
むらさきの にほへるいもを にくあらば
 ひとづまゆゑに われこひめやも
万葉集;巻01-0020 額田王 万葉集;巻07-1249 柿本人麻呂 万葉集;巻01-0021 大海人皇子
紫草(アカネ)の生える狩場を行きながら、そんなことをなさって、野の番人が見るではありませんか。私の方へ袖を振るのを。 あなたのために浮沼の池の菱(ヒシ)の実を摘んでいると、私が染めた袖を濡らしてしまいました。 紫(ムラサキ)草のように色美しく映えているあなたを嫌だと思うなら、人妻のあなたを恋い慕いましょうか。恋い慕ったりはしません。
君がため浮沼の池の橋渡り手摺りつかみて妹に尋ぬる
 本歌取りで一首→この状況で小雨も降ってきているし、妻なら、きっと「そこまでして」と言うに違いない。
たらちねの母がその業る桑すらに 立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅の 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど
 願へば衣に着るといふものを  赤裳裾引きいにし姿を  見すべき君が在りと言はなくに
たらちねの ははがそのなる くはすらに
 ねがへばきぬに きるといふものを
たちておもひ ゐてもぞおもふ くれないの
 あかもすそびき いにしすがたを
いそのうえに おふるあしびを たおらめど
 みすべききみが ありといはなくに
万葉集;巻07-1357 未詳 万葉集;巻02-2550 未詳 万葉集;巻02-0166 大来皇女
母が仕事で扱っている桑(クワ)でさえ、心から願えば、衣になるというのに。 立っては思い座っても思う。紅(くれなゐ=ベニバナ)の赤い裳の裾を引いて去って行った姿を。 岩のほとりに生えている美しいこの馬酔木(アセビ)の花を手折ろうとして見るけれど、その花を見せたい弟はこの世に生きていない。
笹の葉はみ山もさやにさやけども 花咲きて実はならねども長き日に 我が園の李の花か庭に散る
 我れは妹思ふ別れ来ぬれば  思ほゆるかも山吹の花  はだれのいまだ残りたるかも
ささのはは みやまもさやに さやけども
 われはいもおもふ わかれきぬれは
はなさきて みはならねども ながきけに
 おもほゆるかも やまぶきのはな
わがそのの すもものはなか にはにふる
 はだれのいまだ のこりたるかも
万葉集;巻02-0133 柿本人麿 万葉集;巻10-1860 未詳 万葉集;巻19-4140 大伴家持
笹(ササ)の葉は、み山全体にさやさやとそよいでいるけれど、私はただ一筋に妻を想う。別れて来てしまったので。 花が咲いても、実はならないけれど、長い間待ち望んだ山吹(ヤマブキ)の花です。 私の園の李(スモモ)の花が庭に散っているでしょうか。薄く積もった雪が、まだ残っているのでしょうか。
 「笹の葉は」の歌碑は北エリア中央部「せせらぎ広場」、事前調査で撮影順路決めで最も悩んだ場所だ。仕事柄、製造工場で「工程内の停滞在庫」を減らし「ST改善、生産性向上」を図るには「順路の交差」は避けなければならないと指導してきたことを思い出した。まさしく「迷うべくして迷った」順路設計だったと後悔先に発たず!
あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にを 三栗の那賀に向へる曝井の 朝咲き夕は消ぬる月草の
 いませ我が背子見つつ偲はむ  絶えず通はむそこに妻もが  消ぬべき恋も我れはするかも
あぢさゐの やへさくごとく やつよにを
 いませわがせこ みつつしのはむ
みつくりの なかにむかへる さらしいの
 たえずかよはむ そこにつまもが
あしたさき ゆふへはけぬる つきくさの
 けぬべきこひも われはするかも
万葉集;巻20-4448 橘諸兄 万葉集;巻09-1745 未詳 万葉集;巻10-2291 未詳
紫陽花(アジサイ)の花が八重に咲くように、いついつまでも栄えてください。あなた様を見仰ぎつつお慕いいたします。 三栗(クリ)の那賀郡の曝井(水戸市愛宕町)の水が絶えず湧き出るように、通っていこうと思う。そこに妻がいてくれればよいのに。 朝に咲いて、夕方にはしぼんでしまう月草(ツユクサ)のような、身も心も消え入りそうな恋を、私はするのでしょう。
 「橘諸兄」(「ふぢさゐの」の歌人)については、「橘諸兄(たちばなの もろえ)=葛城王(かずらきの みこ)、そして采女(うねめ)伝説(安積采女命)」は、「福島の万葉歌碑めぐり」の主人公的存在でもある。次ぎ以降の立ち寄り先で小書きしましょう。
道の辺の尾花が下の思ひ草 秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑし 妹が見し棟の花は散りぬべし
 今さらさらに何物か思はむ  やどのなでしこ咲きにけるかも  我が泣く涙いまだ干なくに
みちのへの おばながしたの おもひくさ
 いまさらさらに なにをかおもはむ
あきさらば みつつしのへと いもがうゑし
 やどのなでしこ さきにけるかも
いもがみし あふちのはなは ちりぬべし
 わがなくなみだ いまだひなくに
万葉集;巻10-2270 未詳 万葉集;巻03-0464 大伴家持 万葉集;巻05-0798 山上憶良
道端の尾花の元に咲いている思ひ草(ナンバンギセル)のように、いまさら何を思い悩んだりしましょう。 秋になったら、咲いた花を観て私の事を思い出して下さいと、妹が宿の前に植えた石岳(ナデシコ)が、今見事に咲いていることだ。 妻が見た棟(あふち=センダン)の花は、もう散ってしまうでしょう。私の涙は、まだかわくことが無いのに。
筑波嶺のさ百合の花の夜床にも 言に出でて言はばゆゆしみ朝顔の 君が行き日長くなりぬ山たづの
 愛しけ妹ぞ昼も愛しけ  穂には咲き出ぬ恋もするかも  迎へを行かむ待つには待たじ
つくはねの さゆるのはなの ゆとこにも
 かなしけいもぞ ひるもかなしけ
ことにいでて いはばゆゆしみ あさがほの
 ほにはさきでぬ こひもするかも
きみがゆき ひながくなりぬ やまたづの
 むかへをゆかむ まつにはまたじ
万葉集;巻20-4369 未詳 万葉集;巻10-2275 未詳 万葉集;巻02-0090 衣通王
筑波の山の百合(ヤマユリ)のように、夜も昼もいとおしい妻よ。 口に出して言って悪いことが起こるといけないので、朝顔(キキョウ)の花のように、目立たないように恋をするのです。 あなたがいらっしてから、随分と日が過ぎてしまいました。山たづ(ニワトコ)のように、あなたを迎えに行きましょう、待っていられないわ。
春の園紅にほふ桃の花 水伝ふ磯の浦みの岩つつじ 卯の花の咲くとはなしにある人に
 下照る道に出で立つ娘子  茂く咲く道をまたも見むかも  恋ひやわたらむ片思いにして
はるのその くれないにほふ もものはな
 したてるみちに たつおとめ
みずつたふ いそのうらみの いわつつじ
 もくさくみちを またもみむかも
うのはなの さくとはなしに あるひとに
 こひやわたらむ かたおもいにして
万葉集;巻19-4139 大伴家持 万葉集;巻02-0185 草壁皇子宮舎人 万葉集;巻10-1989 未詳
春の庭園に、桃(モモ)の花々が日の光に照らされ紅に輝いている。その花の桃色の光が降り注ぐ下の道に、ふと立ち現れた少女よ。 石造りの池の水際の辺りに咲く岩つつじ(ツツジ)、そのつつじがいっぱい咲いている道を、再び見る事があろうか。 卯の花(ウツギ)のようには明るく振る舞ってくれないあの方に、恋し続けるのかなあ、片思いのまま。
 「春の園」で北エリアの撮影を終え、駐車場を右手に見下ろし「翠橋」(陸橋)を渡り「水伝ふ」の歌碑へ、本降りに近い雨の中、未撮影歌碑6基で南エリアをスタート(9:22、所要2:49経過)。南エリアに、歌碑は12基あるはずだ。かなり離れた所にもあり、全てディスカバーできるか、ここまでの結果を見れば良くて10基かな?
藤浪の花は盛りになりにけり 山菅の乱れ恋のみせしめつつ 思はじと言ひてしものをはねず色の
 奈良の都を思ほすや君  逢はぬ妹かも年は経につつ  うつろひやすき 我が心かも
ふじなみの はなはさかりに なりにけり
 ならのみやこを おもほすや君
やますげの みだれこひのみ せしめつつ
 あはぬいもかも としはへにつつ
おもはじと いひてしものを はねずいろの
 うつろひやすき わがこころかも
万葉集;巻03-03305大伴四網 万葉集;巻11-2474 柿本人麿 万葉集;巻04-0657 大伴坂上郎女
藤(フジ)の花がいっぱい咲きましたね。これを観ていると奈良の都のことを思ってしまいますでしょ。 山菅(ヤブラン)のように心が乱れるような恋の思いばかりさせながら、すこしも逢ってくれないあの子よ。いたずらに年が過ぎて行く。 あなたのことは思わないようにしようと言ったはずなのに、はねず(ニワウメ)の花の色が移ろい易いように、私の心も移ろい易いです。
 ページ割の関係で、歌碑3基を残すもここで総括。南エリアでは、妙見山を中心にした更なる南半分の4基が見つからず。締めて60基中50基、83%のディスカバー率で所要時間は1:30に対し3:17219%と超々オーバーで「歌碑撮りオリエンテーリング」は完璧な失格に終えた。ところで、撮り残し10基はどうするつもり・・・・?
昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花 をみなへし秋萩折れれ玉鉾の さね葛後も逢はむと夢のみに
 君のみ見めや戯奴さへに見よ  道行きづとと乞はむ子がため  うけひわたりて年は経につつ
ひるはさき よるはこひぬる ねむのはな
 きみのみみめや わけさへにみよ
をみなへし あきはぎおれれ たまほこの
 みちゆきづとと こはむこがため
さねかづら のちもあはむと ゆめのみに
 うけひわたりて としはへにつつ
万葉集;巻08-1461 紀女郎 万葉集;巻08-1534 石川老夫 万葉集;巻11-2479 柿本人麿
昼は花開き、夜は慕い合って花びらをとじるねぶ(ネムノキ)の花を、私だけ見てよいでしょうか。お前さんも見なさい。 女郎花(オミナエシ)も秋萩も手折れ。玉鉾の道行く旅の土産と願うだろうあの児のために。 さね葛(サネカズラ)が伸び、後で絡まり合うように、後にでも逢おうと夢の中ばかりで祈り続けているうちに、年はいたずらに過ぎていく。
 【王宮伊豆神社】 福島県郡山市
 「王宮伊豆神社」は、「葛城王」(橘諸兄)と「采女」(うねめ)を祀った神社であり、裏山に「葛城王」の墓、境内には「葛城王祀碑」(右上画像)がある。→説明板①説明板②
 
 「橘諸兄」(たちばなの もろえ)は、奈良時代の皇族・公卿。初名を「葛城王/葛木王」と言い、臣籍降下して橘宿禰のち橘朝臣姓となる。敏達天皇の後裔で、大宰帥・美努王の子。母は橘三千代で、光明子(光明皇后)は異父妹にあたる。官位は正一位・左大臣。井手左大臣または西院大臣と号する。大伴家持と親交があり、「万葉集」の撰者の1人とする説もある。なお、「万葉集」には7首掲載されている。
 何故、立ち寄ったかについては、次項「采女神社」(山の井公園)で詳しくふれる。
 【采女神社】(山の井公園) 福島県郡山市
 「うねめの里」の看板が電柱に取り付けられている。「采女」(うねめ)は、日本の朝廷において、天皇や皇后に近侍し、食事など、身の回りの雑事を専門に行う女官を指す。「日本書紀」によると、既に飛鳥時代には地方の豪族がその娘を天皇家に献上する習慣があった。采女は地方豪族という比較的低い身分の出身ながら容姿端麗で高い教養を持っていると認識されており、天皇のみ手が触れる事が許される存在と言う事もあり、古来より男性の憧れの対象となっていた。 「安積采女(春姫)」説明板
 約千三百年前、安積の里、山の井というところに、小糠次郎という若者が美しい妻、春姫と住んでいた。二人は大変仲むつまじく、野良仕事にも次郎は妻の絵姿を木の枝に掲げておくほどだった。そんなある日、いつものように野良に出て仕事に精を出していると、突然強風が吹き、枝にかけた妻の絵姿が空高く舞い上がってしまった。ちょうどその時、奈良の都から奥州巡察使という名目で、この地に下向した 葛城王の一行の前に絵姿が舞い下りた。都から遠いみちのくとやらにも、こんな美しい女がいるのか、ぜひ会ってみたいと思った葛城王は、国司の館につくと、あの絵姿の女を召し出すように国司に命じた。召し出されたのは、春姫だった。姫は王の前にすすみ出て杯をささげ、「安積山影さえ見ゆる山の井の浅き心をわが思わなくに」という和歌を詠んで王をもてなした。続く※
 
 
  安積山影さへ見ゆる山の井の
 浅き心をわが思はなくに
  あさかやま かげさへみゆる やまのゐの
 あさきこころを わがおもはなくに
  安積香山 影副所見 山井之
 淺心乎 吾念莫國
  万葉集;巻16-3807 陸奥国前采女
   安積山の影が映る泉のような浅い心で、あなたをおもてなししようとは、私は思わない。国の誰がそう思うとも。
※王は大変喜んで、この地方が貧しく年貢米がとどこおっていたのを、春姫のこの和歌の意をくみとり、三ケ年の年貢のおあずけにした。そのかわり春姫は、夫の嘆きをよそに、馬に乗せられて、奈良の都に「采女(うねめ)」として三ケ年の奉公をすることになった。春姫は都で、帝に仕え、はなやかな暮らしはできたが、安積の里に残った夫の次郎のことは片時も忘れられず、中秋の名月の夜、館の賑わいにまぎれて館をぬけ出し、猿沢の池に身を投げて死んだようにみせかけ、安積の里をめざして走り続けた。女の身でそれは大変な道のりだったが、やっとふるさとに着いた。しかし、わが家に帰ってみると、夫の次郎はすでにこの世にはなく、春姫はあまりの悲しさに、山の井に身を投げ、夫の後を追い果てた。やがて春が訪れ、山の井の清水のまわり一面に名も知れぬ薄紫の美しい可憐な花が咲き乱れていた。だれ言うともなく、二人の永遠の愛が地下で結ばれ、この花になったのだと噂をした。「安積の花かつみ(学名ヒメシャガ)」とは、この花のことである。里人は、春姫の霊を弔い、小さな塚を建て、采女塚と名づけた。→歌碑歌碑面拡大
 采女神社は王宮伊豆神社の末社。采女伝説の主人公、春姫の霊を慰めるため、1956年に采女神社建設委員会(片平村)を立ち上げ、村内外より寄付を募り翌年に神社が完成した。建立場所である山ノ井農村公園には、春姫が亡き恋人を追って身を投げたと伝わる「山ノ井清水」や「采女塚」がある。
 【四季の里緑水苑】 福島県郡山市
 秀峰安達太良を背景に清流五百川(奥羽山脈東麓に源を発し東へながれる。阿武隈川水系、左岸支流の一級河川)に隣接した、約3万坪に及ぶ自然型池泉回遊式の花庭園。ここには、2基の万葉歌碑がある。
  安積山影さへ見ゆる山の井の
 浅き心をわが思はなくに
  あさかやま かげさへみゆる やまのゐの
 あさきこころを わがおもはなくに
  安積香山 影副所見 山井之
 淺心乎 吾念莫國
  万葉集;巻16-3807 陸奥国前采女采女
   安積山の影が映る泉のような浅い心で、あなたをおもてなししようとは、私は思わない。国の誰がそう思うとも。
 歌碑撮影という目的を告げると、ご親切に建立場所を細かく教えて下さった。内緒だが、入園料もそれなりにサービスして下さった。
陸奥の安達太良真弓弦着けて
 引かばか人の吾を言なさむ
 
みちのくの あだたらまゆみ つらはけて
 ひかばかひとの わをことなさむ
 
陸奥之 吾田多良真弓 著<絃>而
 引者香人之 吾乎事将成
 
万葉集;巻07-1329 未詳  
 安達太良山のまゆみにつるをつけて、弓を引くようにあなたに心を寄せたら、世間では私とあなたを何と噂するでしょう。  
 「緑水苑」の方に歌碑の所在を伺った際に「あそこ」と指呼、「すぐ先」と勘違い・・・・疲れた。説明板
 今回の「旅の未知草」家を出たのは0:00、立ち寄り箇所は13、まだ半分も終えてない。「緑水苑」の到着は11:2530分弱の遅れ)、「翠ヶ丘公園」(1時間30分の予定に対し3時間17分も歩き回っていた)で体力を使い果たし疲れがどっと出ている。写真からも、そんな様子がありありと出ている。
 【安積山公園】 福島県郡山市
 「奥の細道」碑撮り旅で「安積山公園」は幾度となく訪れている。万葉集に詠まれた[安積山」と「山の井清水」は何処だろうか・・・・今回の「万葉歌碑」めぐりの旅で、2つの「安積山」と「山の井清水」の謎にどこまで迫ることができるだろう。旅には、そんな楽しみがあるのだ。
 「安積山」は、こことは別に磐梯熱海温泉から南東、猪苗代湖の東側に位置する標高
1009mの「額取山」(ひたいとりやま)がある。また「山の井清水」は、こことは別に2つ前に立ち寄った「山の井公園」にある。
 芭蕉と曽良が安積山と山の井清水そして花かつみを探し求めて訪れた場所は、安積山公園(そして安積沼)、「等窮が宅を出て五里ばかり、檜皮の宿を離れてあさか山有。路より近し。此のあたり沼多し。かつみ刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花がつみとは云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。沼を尋、人にとひ、かつみ/\と尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ。」と刻まれた(見慣れた)奥の細道の石碑がある。
  安積山影さへ見ゆる山の井の
 浅き心をわが思はなくに
  あさかやま かげさへみゆる やまのゐの
 あさきこころを わがおもはなくに
  安積香山 影副所見 山井之
 淺心乎 吾念莫國
  万葉集;巻16-3807 陸奥国前采女采女
   安積山の影が映る泉のような浅い心で、あなたをおもてなししようとは、私は思わない。国の誰がそう思うとも。
 「東日本大震災」(2011.03.11)から満8年。未だ石碑の多くは倒壊しロープが張られている。「未だ震災復旧も終えていない」現実に胸が痛む。公園を右回りに抜ける遊歩道のすぐ先に「山の井清水」があった。
 【サンライズもとみや】 福島県本宮市
  陸奥の安達太良真弓弦着けて
 引かばか人の吾を言なさむ
  みちのくの あだたらまゆみ つらはけて
 ひかばかひとの わをことなさむ
  陸奥之 吾田多良真弓 著<絃>而
 引者香人之 吾乎事将成
  万葉集;巻07-1329 未詳
   安達太良山のまゆみにつるをつけて、弓を引くようにあなたに心を寄せたら、世間では私とあなたを何と噂するでしょう。
 ご婦人が通り「歴史民俗資料館」が向かいにありますと指呼し教えて下さるも、時間の関係で立ち寄らず。
 【旧三春街道】 福島県二本松市
安太多良の嶺に伏す鹿猪の在りつつも
 吾は到らむ寝処な去りそね
 
あだたらの ねにふすししの ありつつも
 あれはいたらむ ねどなさりそね
 
安太多良乃 禰爾布須思之能 安里都都毛
 安禮波伊太良牟 禰度奈左利曽禰
 
万葉集;巻14-3428 未詳  
 あだたらの山に伏す鹿や猪のようにつづけて私はあなたのもとに行こう。臥所を離れるなよ。  
 「万葉集」の秀歌でありながら、万葉仮名が読めないのと、いつからとなく「夜ばいの歌」と誤り伝えられたため、地元の人たちに誤解され、敬遠されていた経緯がある。→歌碑面拡大
 【観音丘陵遊歩道】 福島県二本松市
陸奥の安達太良真弓はじきおきて
 撥らしめ置なば弦著かめかも
 
みちのくの あだたらまゆみ はじきおきて
 せらしめおきなば つらはかめかも
 
美知乃久能 安太多良末由美 波自伎於伎弖
  西良思馬伎那婆 都良波可馬可毛
 
万葉集;巻05-0803 未詳  
 陸奥の安達太良山の真弓で作った弓をほっておいたら、すぐには弦をかけて引くことができないように、急に私の気を引こうとしてもだめですよ。  
 下調べの段階から歌碑の場所が特定出来なく「現地任せ」になっていた。やはり、車を停めた場所からかなりの距離、遊歩道反対の登口付近まで下り諦める寸前で見付けた。→歌碑面拡大説明板
 【観世寺】(安達ヶ原ふるさと村) 福島県二本松市
 
 安達ヶ原の「観世寺・黒塚」は、芭蕉・曾良も立ち寄っている。「おくのほそ道」(安積山の段、元禄二年四月二十九日、五月朔日・二日、前後略「・・・・。二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。・・・・。」との記述。曾良随行日記には、「五月朔日・・・・。二本松の街、奥方ノはづれニ“亀ガヒト”云町有。・・・・」とあり。
  
みちのくの安達ヶ原の黒塚に
 鬼こもれりと聞くはまことか
  おばあさんが住んでいた。岩手には病気を患った娘がおり、遠く離れて暮らしていた。ある日旅人夫妻が岩手の元にやってきて、一夜の宿を求めた。旅人の婦人の方は身重で、その名を恋衣といった。旅人夫妻が寝静まった時、岩手は娘の病気には赤子の肝が効くという易者の言葉を思い出し、出刃庖丁を使って、赤子を身ごもっていた恋衣を殺してしまった。しかしその直後、岩手は殺した恋衣が自分の娘であったことに気づいた。気が触れてしまった岩手は、その後訪ねてくる旅人を次々と殺しては喰らう鬼婆となった。
みちのくの だちがはらの くろつかに
 おにこもれりと きくがまことか
 
拾違集; 平兼盛  
 「安達ヶ原の鬼婆伝説」;能の「黒塚」も、長唄・歌舞伎舞踊の「安達ヶ原」、歌舞伎・浄瑠璃の「奥州安達原」もこの黒塚の鬼婆伝説に基づく。
 昔(奈良時代)この地の岩屋に、「岩手」という名の
 
 歌碑は、「観世寺」の門前(上左)、「阿武隈川」河原の黒塚(上右)にある。→歌碑説明板遠景
思ひやるよその村雲時雨れつつ
 安達の原に紅葉しぬらん
 
おもひやる よそのむらくも しぐれつつ
 あだちのはらに もみじしぬらん
 
源重之;新古今和歌集  
 ここ都から遠く離れたみちのくの村は、群雲が時雨をふらせて、安達の原では、紅葉してしまっているのであろうと、私は想像している。  
 「観世寺」の隣り「安達ヶ原ふるさと村」、五重塔の前に歌碑がある。源重之(没未)、平安時代中期の官人・歌人、源兼信の子、三十六歌仙の一人、陸奥守藤原実方に随行し陸奥で没した。よって陸奥をはじめ旅の歌が多い。 
 折角なので「観世寺」さんの境内も拝観させて頂いた。「出刃洗の池」の横に「蓮鉢」が並んでいた、お寺さんと競争するつもりは毛頭ないが・・・・つい比べてしまう。そして、・・・・ニタッ!
 【鹿島神社】 福島県福島市
等夜の野に兎ねらはりをさをさも
 寝なへ子ゆゑに母に嘖はえ
 
とやののに をさぎねらはり をさをさも
 ねなへこゆゑに ははにころはえ
 
等夜乃野尓 乎佐藝祢良波里 乎佐乎左毛
 祢奈敝古由恵尓 波伴尓許呂波要
 
万葉集;巻14-3529 未詳  
 等夜の野でをさぎ(ウサギ)を捕まえようと狙う。そのをさぎではないが、おさおさも寝ていないあの子のせいで母親に叱られて。  
 「鹿島神社」は、国道4号からわずかに入った場所にある小さな神社だが、何やら歴史がありそうな碑が建っていた。→歌碑歌碑面拡大説明板
 【文知摺観音】 福島県福島市
 
 「文知摺観音」に、歌碑があることは知っていた。ここは「奥の細道ゆかりの地」ゆえ幾度となく立ち寄っている。かなり前に、目的の歌碑を撮影しているが原画を保存してあるDVD-Rを探し出すより早いし多少の回り道で撮影出来るので、本日のトリとして再訪した。
 
 「おくのほそ道」(安積山の段、元禄二年四月二十九日、五月朔日・二日、曾良随行日記にも三十日の記録なし)、芭蕉の句碑は2基(芭蕉像台座は建立は近年)「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」。→句碑拡大台座拡大
 だいぶ疲れが出てきたが、境内のお決まりコースを観て回る。受付で「歌碑き(!)基あります」と、ご案内されたが「お目当てのみ」に留め早足で歌碑へと・・・・。
  陸奥の忍ぶもち摺誰故に
 乱れ染めにし我ならなくに
  みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに
 みだれそめにし われならなくに
  古今集;巻14 恋歌4-724 河原左大臣 小倉百人一首 014番
  陸奥で織られる「しのぶもじずり」の摺り衣の模様のように、乱れる私の心に、いったい誰のせいでしょう、私のせいではないのに(あなたのせいですよ)。
 「小倉百人一首」で知られる「源融・河原左大臣」の和歌。源融、嵯峨天皇の皇子で臣籍降下し源の姓を賜る。六条河原に住んだことから河原左大臣とよばれた。宇治の別邸は後に平等院となる。→歌碑歌碑面拡大説明板
 【編集後記】
 「旅の未知草」(浪漫紀行)は、芭蕉句碑・奥の細道ゆかりの地、湯殿山信仰・即身仏、石鳥居、国分寺・国分尼寺、古碑、神仏習合・廃仏毀釈、古都鎌倉、戊辰戦争(会津)と回り「万葉歌碑」へと「飛鳥時代」から「明治時代」までの日本文化史めぐりを行ってきた。還暦過ぎての手習いで、いろんなことを学んだ。
            MP3 悠久の絆