芭蕉句碑 奥の細道(上越編)
 2014.04.12 (土) 快晴
 今シーズンの初遠征は「上越ギフの撮影」。「円安」+「消費税up」「温暖化税」(二重課税)による燃費高騰に対抗すべくとったバブル対抗策は「上越ギフと芭蕉句碑」という「多様化による単価down」だ。
  【新井別院】妙高市下町
 現地9時集合に間に合わせるべく家を6時に出た。今朝は放射冷却で-8℃まで下がっていた。
 菅平経由の一般道、早朝であり予定より40早く県境を越えた。
 
 ならば「新井の句碑」で道草しても十分間に合うということで予定変更した。
 境内の掃除をしていた男性に尋ねるも「森蘭齋の墓」は知っていても芭蕉句碑は無知であった。
 
 
 「真宗大谷派東本願寺新井別院」の山門をくぐり本堂左手の墓地の中に芭蕉句碑があります。①「人聲や 此道かへる 秋の暮れ」(ひとごゑや このみちかへる あきのくれ)、亡くなるひと月ほど前に詠まれた句です。
  【日吉神社】妙高市吉木
 日吉神社はナビ設定してなく逆コースになるが何とか迷わずに辿り着いた。
 参道は急な石段で、昇る途中で蝶友から現着のメールが着信した。
 
 朝の陽射しが眩しく逆光になるので越後平野を撮り込むと句碑周辺が真っ暗になってしまう。
 あまり天気が良いとハイコントラストになり撮影に向かない。
 
 
 「日吉神社」の句碑は、②「梅が香に のつと日の出る 山路哉」(うめがかに のっとひのでる やまじかな)、元禄7年(51歳)芭蕉最期の春に詠まれた句です。今日の未知草、ちなみに越後の里は桜が満開でした。
この合間に、第一目的の「上越ギフチョウの撮影」に約2時間費やした。
【居多神社】上越市五智  
 「居多神社」は調べたが立ち寄る計画から外していた。
 「五智国分寺」のナビ設定したらグーグルマップと異なり目前通過になっていたのだ。
 
 「居多神社」は「親鸞聖人」が日本上陸後に最初に参った神社として知られている。また、時期が早く見ることが出来なかったが「越後七不思議の大一番“片葉の萱群生地”」でもあるようだ。
  【五智国分寺】上越市五智
 「五智国分寺」には桜の木が少ないのか人出も疎らであった。
 「本堂」「山門」「三重塔」などゆっくり拝観することが出来た。
 
 「五智国分寺」には芭蕉の句碑は二つある。所在を確認してから山門から入った。(本堂左手方向に数台分の駐車場があり裏手から入ってしまったのである)
 「山門」を抜けると左手に大きな碑がある。その囲いの左手前に芭蕉句碑がある。
 
③「薬欄に いづれの花を くさ枕」(やくらんに いずれのはなを くさまくら)高田の医師春庵宅で詠まれた句です
 
 
 「おくのほそ道」は芭蕉と曽良が旅をした紀行文ですが、旅先で詠んだ句が全て掲載されている訳でもありません。また、各地にある「芭蕉句碑」もその地に関係があるというものでもありません。よって、「奥の細道;芭蕉句碑めぐり」と題するのも正しくはないのかも・・・・。
 
 上記句碑の並び「本堂」側に小さな池があり桜が咲いていました。その桜の下にも芭蕉句碑があります。④「古池や 蛙飛びこむ 水の音」(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)、貞享3年春に江戸蕉門の門弟多数を芭蕉庵に集めて「蛙」を主題とする会を催した際に詠んだ句です。
【琴平神社】上越市中央  
 関川左岸河口にある「琴平神社」の海岸沿いは「船見公園」になっている。
 その駐車場に車を止め句碑や今町(現、直江津)の街を散策した。
 
 「船見公園」には小学校の修学旅行で来たことがあるような・・・・しかし「何となく違う」・・・・その時は、そう思ったが家に戻り記憶を紐解いたところ・・・・やはり記憶違い「修学旅行は鯨波だった」
 
 「琴平神社」には同じ芭蕉句碑が並んでいる。⑤⑥「文月や 六日も常の 夜には似す」(ふみづきや むいかもつねの よにはにず)、今町の古川市左衛門の家に宿泊し近くの聴信寺で詠んだ句です。翌日も滞在し地元の元仙宅で出雲崎で詠んだ「荒海や 佐渡に横たふ 天の河」を披露したとのことです。(もう一つの芭蕉句碑
【安寿と厨子王】上越市中央  
 「琴平神社」の関川側に「安寿姫と厨子王丸の供養塔」がある。
 右の碑は森鴎外「山椒大夫」についての記述です。
 
 ネットで調べたところ、現在も近くに「蔵造りの聴信寺」(左上小画像)なるものがあるというので折角の機会ゆえ行ってみた。
  【本敬寺】上越市黒井
 「本敬寺」の入口は「黒井宿」通りに面していた。そこを入った右手に句碑がある。
 本院も入口が解らなく裏口から入ってしまった。
 
 ⑦「さびしさや 花のあたりの あすならう」(さびしさや はなのあたりの あすならふ)、黒井宿の旅籠屋伝兵衛での休憩を記念し地元俳人らが建立し笈日記に掲載されている句です。この後「北城神明宮」に向かうも「高田公園」の観桜会で大混雑、取り止めて通過するのも大変でした。
【正鱗寺】上越市南本町  
 高田は城下町、細い小路が桝目になっている。
 古いナビなので「ここを曲がる」のにと思いながら「ナビに従い直進する」と「行き過ぎ」という。
 
 細い袋小路の奥に「正輪寺」があった。境内に居たご婦人に声を掛けると和尚さんの奥様らしい。すっかり消えて読めないけど「ここにあります」と句碑の堀面を撫でて下さった。
 「正輪寺」の句碑は、⑧「景清も 花見の座には 七兵衛」(かげきよも はなみのざには しちびょうえ)で翁草に掲載されている句です。
 
 途中の「高田公園」周辺の混雑から一歩外れた「正輪寺」界隈の静寂さを何と例えよう。「新宿と我が家の違い」といっても知る人しか解らないので例えにならず。
【金谷山対米館】上越市大貫  
 最後は「金谷山」、ここは「日本スキーの発祥地」として知られる。
 「対米館」(飲食店)の手前に句碑がある。
⑨「薬欄に いづれの花を くさ枕」、五智国分寺と同句です。
 
 14時半に「芭蕉句碑めぐり」を終え帰路に。途中の小林一茶の里には、伝統工芸品「信州打刃物」の売店(黒姫物産センター)があります。かつて購入した包丁の切れ味に魅せられた妻からのリクエストで「菜切包丁」と「果物小刀」を土産に買いました。