-東日本大震災記録“唯一残った未踏の地”-
浜通り 陸前浜街道“帰還困難区域”を行く
帰還困難区域
14.1km;自動車のみ通行可能より3年目(2014.9.15
2017.11.017(金) 晴
 今回の「旅の未知草」は「碑撮り旅」でなく、その前に撮り続けた「東日本大震災記録」(発生翌月から1年後までの毎月、その後は一年半後、二年後、四年後と撮り続けてきた)の総括として「68ヶ月後の原発被災地」の復旧・復興を自分の目で確認したいと計画を立てた。
 近々にポスタルギャラリーで「東日本大震災記録写真展」を計画している。むろん写真展とは別に、是非とも「東日本大震災記録」に加えねばと以前から思っていたことである。
 「国道
6号原発被災地」は、サラリーマン時代の受持ち地域でもあり「小名浜」「いわき」「浪江」「原町」「相馬」と出張やレジャーでも何度も訪れていた。また、独立後も相馬(磯部)に顧問先があり「原町」や「浪江」(相馬駒焼の里)等と「宮城在住時」の活動範囲であった。
 原子力科学研究所(日本原子力研究開発機構東海研究開発センター);茨城県東海村
 
 ナビ設定の最初の地点は「水戸市」(4:10通過)である。2番目が「東海村」(4:40)、夜中同然で撮影どころでない。小画像の縦3本の光は、車内インターバル撮影にとフロントガラスをクリーナーで掃除した際に残った油膜が原因で、影響を読めていなかった。(EOS60D+TAMRON A09 28-75mm F/1:2.8
 「日立」へと向かう直後、離れた場所から撮影した「東海第二原発」、夜間でオートフォーカスが効けばいいのだが、マニュアルだと視力の衰えでジャスピンとはいかない。カメラを変えて撮ってみるも、やはりピンボケばかり。(OLYMPAS E-PL1s 14-42mm F/1:3.5-5.6 ミラーレス一眼)。普段あまり撮らないので改めて勉強しよう。
 「東海第二原発」は、「東日本大震災・津波被害」は辛くも避けることが出来たようだ。かつて、この前(国道245)を通過した時に「何か異様なプレッシャー」を感じたことを思い出した。人間の手でコントロールの効かないものは造るべきではないと、その時以降ずっと思っている。「福島第一原発事故」を契機に「全て廃炉」へと進む勇気が必要ではないだろうか・・・・「一国」の選挙のためでなく「全世界」の人の生命のこととして・・・・今回は、そんなことを考え抱く旅である。
 日立灯台;茨城県日立市
 
 「東海研究所」前のR245を日立に向け北上、日立港の北、古房地鼻に「日立灯台」(古房地公園)がある。ナビ設定第3地点である。「日立灯台」は昭和423月生まれの白亜の灯台、今日の肩書は「日立市民文化遺産」(産業遺産)。私は1年先輩の「団塊世代」で、今は「白髪で大分薄い」・・・・。5:30 到着(日立市の日出時刻は 6:17)、「団塊の世代」は「遺産?」、複雑な気持ちで妻が作ってくれた朝食を摂り休憩。
 鵜の岬(伊師浜海岸);茨城県日立市
 初おろし機材(EOS Kiss9 +TAMRON B028)の試写 画像クリックで 1,000×666
EOS 60D +TAMRON A09 AM 6:35   EOS Kiss9 +TAMRON B028 AM6:35
 
28mm F/5.0 1/125sec ISO ; 100 AM 6:35   18mm F/7.1 1/100 ISO ; 100 AM 6:35
 双方「クリエイティブオート」モードで撮影した。いろいろ試してみたかったが改めての機会へと先延ばし。
 予定時刻に対し大分先行しているので「国民宿舎鵜の岬」を一周する「森林浴の道」(遊歩道)を探索した。途中には「海鵜渡来地」があるも「一般の立入禁止」、通常コース1km程の早朝散歩を楽しんだ。
 
 ナビの設定に誤りがあり、掛け離れた2ヶ所を行き来しロスタイムで無意味な時間調整をしてしまった。それでも日の出時刻より15分余り過ぎて到着したので太平洋から昇る朝日を眺めることが出来た。
 
冬の海浪間に揺れる朝日みゆ 42.2017.win
 冬の海(三冬の季語);冬の海は荒涼としている。日本海と異なり太平洋は晴天が続き凪(な)いでいることも多いが、沖は波が高い。このぐらいの波でも、東日本大震災の巨大津波を見てからは不安がよぎる。
 道の駅よつくら港;福島県いわき市
 
 20091226日にオープンした道の駅、13ヶ月で東日本大震災・巨大津波で全壊した。2012811日にフルリニューアル、駐車場と道一本離れ不便さを感じる。いよいよ「帰還困難区域」へと向かう。( 8:50 発)
 広野火力発電所(東京電力フュエル&パワー㈱/東電の火力発電事業部門);福島県広野町
 海沿いの県道391を北上すると「広野火力発電所」の3本の煙突が見えてきた。1・2号機(1980)、3号機(1989)、4号機(1993)が重油・原油。5号機(2004)、6号機(2013)が石炭で総出力440kw
 Jヴィレッジ;福島県広野町・楢葉町
 「Jヴィレッジ」は1997年に開設されたスポーツ施設であるが、東日本大震災・巨大津波で起きた福島第一原発事故に伴い2011.3.15-2013.6.30まで全面閉鎖し、国が管理する原発事故の対応拠点となっていた。2013.7に対応拠点が第一原発内に移転したことを機に、2018夏に一部再開、2019.4に全面再開を目途に再開に着手。
 中に入ることは出来ませんでしたが、通りからの眺め、
4年も経っているので「前線基地」の面影はすっかり無くなっていました。
 常磐線木戸駅;福島県楢葉町
 「楢葉町」は、平成2795日に「避難指示解除」、現在の区域指定はなし。平成2951日現在の避難者は5,615人、帰還者854世態1,616人(22.3%)。
 常磐線「木戸駅」ならびに「竜田駅」は、東日本大震災・巨大津波の直接的被災はなかった。しかし、平成2795日までは「旧避難指示解除準備区域内であり運休していたが「木戸駅」が終着駅として運転していた。そして、「木戸駅⇔竜田駅」は平成2661日に運転再開、「竜田駅⇔富岡駅」も平成291021日には再開した。駅ホームに乗客の姿が確認出来た。下り富岡行9:33発だと思う。(平日11本の運転)
 笑(えみ)ふるタウンならは;福島県楢葉町
 
 「木戸駅」から「竜田駅」に向かう途中(海から直線で約2km、標高17m)に、楢葉町新拠点「コンパクトタウン」(仮称)という「戸建て型災害公営住宅」(復興住宅123戸)があった。最近、「コンパクトタウン」の名称公募があり「笑(えみ)ふるタウンならは」と決まったようだ。高台から撮影していると電車の警笛が聞こえたので近くの「北田陸前浜街道踏切」に走った。撮影時刻が「9:45」、少し遅れているようだ。
 常磐線竜田駅;福島県楢葉町
 天神岬;福島県楢葉町
 「天神岬」は高台になっていて、南方向に「広野火力発電所」、北方向に「断崖の海岸線」、沖合方向には未撮影の「福島洋上風力コンソーシアム」(福島復興・浮体式洋上ウィンドファーム実証研究事業/風力発電施設)を眺める展望台がある。右上画像に見えるグリーンは「放射性物質の仮置場」である。
 展望台の手すりに太腿を当て三脚効果を得て撮影していると、めまいかと錯覚するゆらぎを感じた。聞こえてきた防災放送によると「深度
4の地震発生」だという。夜、ホテルのNHKの「dデータ」で確認すると「10:12、福島沖を震源とする M4.8 の地震」と判明した。
 「天神岬」の海側は崖になって続き素晴らしい景勝美を見せている。
 富岡駅;福島蓮富岡町
 「富岡町」は、平成2941日に「避難指示解除準備区域解除」「居住制限区域解除」されるも一部「帰還困難区域」が残る。平成2951日現在の住民登録者數は13,441人、町内居住者數は128
 津波で流出した「富岡駅」は、同地で100m程北にずらせて新駅舎を再建した。平成291021日、1ヶ月程前に「竜田駅⇔富岡駅」の運行が再開された。
 さくらモールとみおか;福島県富岡町
 平成29330日、「公設民営の複合施設」(さくらモールとみおか)が全面開業。原発事故の避難指示が部分解除、町民の帰還を促す後押しにと計画されたもの。
 浜通り;陸前浜街道“帰還困難区域”を行く 富岡町→大熊町→双葉町
 「帰還困難区域」を抜ける国道6号は「駐停車禁止・窓開けも不可」それに「ノンストップで50-60km/h」、インターバル撮影(10sec)に任せ“ひたすら走る”のみ、思い描くシーンが2-3枚撮れれば満点と決め込む。「さくらモールとみおか」でセットアップし「浪江町役場」まで、142枚より30枚選ぶ(歩留21%)、更に8枚に絞る。
富岡消防署北;是より帰還困難区域   熊町郵便局付近;国道面の住宅を閉ざすフェンス
大熊町小入野付近;国道面の店舗を閉ざすフェンス   東大和入付近;脇道を閉鎖するフェンス
双葉町光善寺付近;放置せざるを得ない損壊店舗 国道面の店舗を閉ざすフェンス
双葉町新山下条付近;国道面の店舗を閉ざすフェンス   双葉駅入口付近;国道面の住宅を閉ざすフェンス
 浪江町内探索(其の壱);国道6号「高瀬」信号左折→陸前浜街道(旧道)→国道6号
 「浪江町」は、平成29331日に「避難指示解除準備区域解除」「居住制限区域解除」されるも一部「帰還困難区域」が残る。平成29831日現在の避難者數は20,722人、町内居住者は254世帯、362人。
高瀬;大堀相馬焼の看板に魅かれ左折   空地で何を;老人が座り込んでいた
常磐線踏切;この先陸前浜街道(旧道)を左折   宅急便;帰還者比率2%で宅配?
 浪江町内探索(其の弐);国道6号「田中前」信号左折→陸前浜街道(旧道)→国道6
田中前;浪江町役場がある信号を左折   町内;閑散としていました
町内;駅まで行かずに左折   町内;左折をし元の道へ
 百尺観音;福島県相馬市
 
 「百尺観音」(磨崖佛百尺聖観世音尊像)の拝観は何度目だろうか・・・・相馬には担当事業部、直ぐ近くには独立開業後の顧問先もあったので10回近くになるかと思う。
 磯部地区;福島県相馬市
 相馬松川浦南部、「磯部」というだけあって「太平洋の磯」に面した集落である。独身時代、職場の文化委員(労働組合に代わる三委員会組織)として「松川浦」の磯部地区でキャンプ講習(職場でのリーダー研修)に東京(本社)から来た記憶がある。東日本大震災の津波罹災で磯部地区(浜部)は流失。その田園部には大規模ソーラー。
 松川浦;福島県相馬市
 
 国道6号より海岸側、松川浦の陸側の道を抜け磯部地区から相馬港へと向かう。このルートには大きなホテルが2軒ある。松川浦に突き出た川沿いに「晴風荘新館」があり以下掲載の3枚を撮影した。次に向った「ホテル飛天」は、宮城在住時に妻の母を誘い日帰り入浴したホテルである。ここは、東日本大震災・巨大津波被災の復旧拠点として自衛隊の前線基地にもなった所だ。
18mm 150mm 400mm
 「Canon EOS Kiss 9」+「TAMRON B028 18-400mm」の試写を行った。左端中央に相馬港の吊橋が見える。右端は川部中央の水鳥を映したものだ。
 松川浦;福島県相馬市
 先に撮影した相馬港吊橋近くの松川浦海苔養殖港から松川浦(海方向)を一望した。パノラマ撮影を忘れていたので、無理を承知で画像合成をした。
 
 「百尺観音」(12:15)で妻が用意してくれた昼食を摂った。係留されている漁船の反対側に「海鮮丼」の幟を目にした。食後間もないので「海鮮丼」は豪華でもあり「ランチ」(13:30)にした。熱々のカレイのフライがとても美味しかった。かつて、此処には鮮魚売場がありカニ等を買ったことも思い出した。
 
 松川浦を外洋から囲む渚ラインへの「吊橋」で磯部まで行けたが津波で流され今は通行出来ない。かつて、磯部の顧問先へは国道6号ではなく浜通りを走っていたので毎回渡っていた。右は原釜地区にある相馬港である。
 旗巻古戦場;宮城県丸森町
 
 福島県相馬市と宮城県丸森町の境にある「旗巻峠」は、ホームページ「蝶と里山の浪漫紀行」のみでなく「蝶の撮影」「バタフライガーデンづくり」の“ルーツ”となる記念すべき場所だ。
 「旗巻峠」の旧峠道に「旗巻古戦場跡」があり、「第二の故郷」宮城を去るに当り「巡拝記念植樹」を行っている。「ミモザ・アカシア」は根付かなかったが心には黄色の花が咲いている。ここには「カプセル」が眠っている。
寥楽や花の夜ノ森冬紅葉 43.2017.win
 こんな句を詠み旅に臨むも納得ゆく写真は撮れなかった。それでも計画中の写真展には1-2点載せたいと思う。
 
 仙台のホテル、チェック・インは何時もより早く17時、走行距離は559km、復路を含めると1,004km